【長編小説】『空色806』第6章(8)「暫定的役割としての王と小さな城」(王四十七歳 朔二十七歳)

空色806

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【長編小説】『空色806』概要・目次(作:陽月深尋)

 地下へ続く階段は、螺旋ではなくジグザグの直線型だった。地下にあるにも関わらず(空島にも地下が存在する)、ここにまでちゃんと太陽の光が届いていた。吹き抜けの底の部分には、何かを主張するみたいに植物や花が凛と生きていて、おかげで無機質なレンガの壁や石の廊下は、まるで初孫を見る頑固なおじいさんのように、ほわりと柔らかな空間を作り出しているのだった。

 「あんた地下に入らないほうがいいんじゃないの? パパに言われてるんでしょう?」レベッカは思い出したようにスズに忠告した。

 「あ、ばれたか。ここ、いつも入らせてもらえないから気になってたんだ。特に何もないって言われるほど気になるっていうか」

 スズは相変わらず無邪気でいたずらな笑みを携えながら、進んでいく。

 「ここは? あ、食べ物を入れるところか。卵がこんなに! これなら毎日でもオムレツができるね!」

 スズは興奮した様子で次々と扉を開けて行き、レベッカは半ば呆れた様子で妹の後ろ姿を見つめている。一人っ子の朔は、そんな姉妹の姿を少し羨ましく思いながら見つめていた。

 がちゃり、とスズがためらいなく開けたニーマの部屋には今誰もおらず、リセの部屋も同様だった。ここにはプライバシーというものは存在しないのだろうか、などと朔が考えていた時、スズに異変が起こった。リセの部屋の扉を開けた瞬間、スズがかっと目を見開き、その場で立ち止まった。そして、そのまますうっと引き込まれるように部屋の中に入っていこうとした。

 「スズ、あたしがわかる? こっち見て。だめ!」レベッカはスズの肩を掴み、乱暴に押し留めていた。朔は突然のことに戸惑いながらも、スズが尋常ではないことは見て取れた。ふと部屋の中に目を見やると、ぞくりと背中に冷たい汗が伝った。そこには、大きな人の顔の形をしたオブジェがあった。いや、それは正確に言うと本棚であるようだった。それは、キベの小屋で見た髑髏の本棚に、正確に肉付けされた人間のように見えた。あるいは、まだ肉が残された状態の、と言ったほうがいいだろうか。その中からは、不思議な引力が感じられた。何か不吉な予感を与える、とても魅力的な引力だ。ああ、わたしはこれを見たことがある、と思う。そうだ、これは図書館の髑髏の本棚に後ろ合わせで置かれていた人間の形をした本棚だ。

 そばでまだ虚ろな目をしたままのスズは、レベッカに抱かれながら歌を口ずさんでいた。朔はなぜか、その歌詞を追うことに夢中になってしまった。その内容はおおよそ次のようなものだった。

 村人たちが暮らすトラリアには、あまり雨が降らない。春の前に集中的に降り続く雨を別にすれば、ほとんどが乾いた空。しかし、ある時トラリアをひどい嵐が襲った。雨は腰のあたりまで上がり、人々は城の中に逃げ込んだ。そして、嵐は最後に大きな雷を落としていった。その雷は、城のそばにある大きな楓の木に落ちた。その雷を合図に、嵐は去っていった。それから人々は、天災を畏れ、木への感謝を込めてその木の下に収穫したばかりの麦穂や果物を置くようになった。それを人は「金色の樹」と呼ぶ。

 朔は、いつの間にか右手の指が自分の太ももをリズミカルにタップしていることに気がついた。そして同時に、左手に指がないことをひどく不自然に感じた。生まれてから二十七年間付き合ってきた指のない左手に、初めて奇妙なよそよそしさのようなものを感じたのだ。

 「サク。サクってば」そこで朔は、レベッカが自分の名を呼んでいることに気がついた。彼女はほとんど泣きそうになりながら、左腕でスズを抱え、右手で朔の左手を揺らしていた。先ほど感じた左手の違和感はこれだったのか、と朔は納得した。

 「スズもサクも、どうしたの。早く上に戻ろう」

 異論はなかった。ここには、あまり気分の良くない空気が流れている気がした。残りの部屋をすっ飛ばして(というか城の探検をしていたことなどほとんど忘れていた)、レベッカに手を引かれながら城の外の庭のところまで一気に走っていった。ぜえぜえと肩で息をしながら、ほんのりと湿った緑の芝生に身を横たえる。陽は沈みかけ、そこらじゅうがオレンジ色に輝いていた。朔は改めて、色というものが陽の光で作られていることを思い出した。

 「もうすぐルルが帰ってくるよ。1番の空色をバケツに何杯も溜めて。そうしたら、夕食にしよう。今日はじゃがいもとにんじんのポタージュがいいな。あれだと変な色にならないから」とレベッカは上を見上げたままつぶやいた。

 「今のことは、忘れようね。誰にも言わない、もう地下には行かない。いいね」と彼女は付け足した。そこには、妹を守ろうとする、頼もしい姉の責任感と決意が垣間見えた。

 「うん」「わかった。覚えてないけど」朔とスズは、揃って頷いた。

 夕食は、遊技場で摂ることになった。城に関係する者たちが一度に食事をするため、キッチンには収まりきらないのだ。贅を尽くすわけでもないが、決して質素なわけでもない、素材の良さを活かした満ち足りた食事が振る舞われる。こんな食事をしていたら、きっとこの国の人は病気になんてならないんじゃないか、と朔は感じていた。普段コンビニの菓子パンでお昼を済ませ、夕食は夜遅く会社から帰った後に食べる生活をしている自分の体が、ここの食べ物を口にするたびに喜んでいるのがわかった。きっとここには、24時間明かりの灯るコンビニも、食べ物を長持ちさせるためにたくさんの添加物を入れて生産する食品工場もないのだろう。

 夕食の場で、ルカがやたらと朔に目配せをしてきた。それで朔は、自分がすっかり忘れていた彼との約束を思い出した。そうだ、キベの家に行かなくては――。その後、一緒に風呂に入りたがるスズをなだめ、朔は城を抜けだした。

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第7章(1)「生きた臓器としてのピアノ」(キベ七十四歳)

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ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

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