【長編小説】『空色806』第8章(5)「事件は、何の前触れもなく起きる」(王 四十七歳)

空色806

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【長編小説】『空色806』概要・目次(作:陽月深尋)

 気丈に振る舞おうとしてはいるものの、王の狼狽ぶりは傍で見ていても痛々しいものだった。ここに来てまだひと月の朔でさえ、人懐っこくてややおっとりとしたスズには親しみを抱いていた。あどけなさの残る屈託のない笑みに、安心感さえ覚えていた。朔も、王とともに懸命にスズを探した。

 あるいは朔は、疑われているのかもしれなかった。スズを探すときにほとんどいつも王がそばにいる。思い過ごしかもしれないが、日が暮れるとわけも言わずにいつも城の外に出かけるわたしは、十分に怪しい人間だったのかもしれない。けれど、わたしにとって、スズをさらうメリットは何もない。そこまでして叶えたい願い事もなければ、そのやり方も知らない。第一、記憶に間違いがなければ、朔はここに来てからまだ一度もスズが歌うところを耳にしたことすらなかった。

 王を含め、城の者たちはほとんど夜も眠らずにスズを探し続けた。朔の担当である城の掃除は行われず、王の書斎には郵便が山のようにうず高く積み上げられ、加熱しない簡単なもので済ませる食事が続いた。皮肉なことにその間、トラリアは雲ひとつない気持ちのいい青空に恵まれ、島を囲む木の色を塗り替える必要はほとんどなかった。三日目からは、国の組織的機能を維持するために、王自身は捜索から身を引かざるを得なかった。

 まるで気が変わりやすい飼い猫みたいに、スズが音もなく忽然と姿を消してから五日目の午後一番は、17番の空色だった。パンにチーズを挟んだものと、りんごをひとつという昼食を胃に流し込んだ後、朔はルルとペアを組み、スズの捜索にあたった。二人目の王女が失踪したというニュースは、城に関係する者以外には伝えられなかった。ただでさえ神経質になっている国民をこれ以上刺激するのは、あまり賢い策とは言えないと王は判断したのだ。それに王は内心、国民という総体を心からは信用できなくなっていた。誰かがいなくなっても、時計は進む。

 人々は日常的な営みを絶やすことはできず、自分にさほど関係のない非日常のニュースは、音楽の消えた日常の退屈を刺激する官能的興奮を生み出すものにしかなりえないかもしれない。王は、そのような人々の同情や、形骸化した結束を恐れた。

 そして、いなくなったのがスズであるということは、国民にとって少なからず喜ばしいニュースであるかもしれなかった。聴いた者がみな、意識を現実から乖離させながらも苦しみから解放され、満たされた状態になることのできるスズの歌声(それはあくまでホープの演奏と対であるべきだった)は、ある意味では毒とわかっていても手を伸ばしたい悪魔の果実に違いなかった。沈黙に包まれ、誰もがほんの少しずつ心の闇を広げている今の状態では、スズの存在は人々に叶わぬ夢を見せていた。いっそスズも、ホープ同様その存在を消すことが国のためかもしれないと、王は考えたことがないわけではなかった。

 そういうわけで、王家の事件は、当事者たちで解決させることに決めたのだ。実際にスズがいなくなったリネンの花畑は、もうすでに何人もの手で隈なく探されていた。そこには、あくまで平和の象徴としての青い花がゆさゆさと風に揺れているだけだった。それはこの騒動などお構いなしというような平和ボケしたうさぎのお尻のようでもあったし、うまく覆い隠してしまったスズを必死で探す城の者をあざ笑う、魔女っ子たちのひそひそ話のようでもあった。

 「丘の北側へ行ってみましょう」リネン畑をかき分けながら、ルルが言った。

 彼は、ほとんど事務的なことしか話さなかった。城を出てからというもの、朔が懸命に話題を探そうとしても、いつもそっけない返事しか返ってこなかった。そこに悪意は一切感じ取れず、だから朔は取り立てて腹を立てることもなかった。ルカの話になった時だけ、彼は立ち止まって身を固くした。それで朔は、もう何も話さないことにした。

 「丘の北側は、ルカ、いえ鳥一族の人たちがもう探したはずじゃない? 彼らの目で空から見れば、スズがいるかどうか一目瞭然だと思うのだけれど」

 「いいや、丘の北側に行きましょう。スズ様はきっとそこにいる」
 ルルは珍しくこだわった。

 「何がそんなに気に入らないの? ルカはあなたを仲間として認めている。いつまで劣等感を引きずっているつもり?」朔は少なからずうんざりし、ちょっとしたいたずら心で反論した。

 「僕は、本当につらいことを経験したことのある人しか信用しないんだ」
 突然、ルルがぐるりと向きを変え、朔の肩を掴んだ。

 翼が開かないぶん、彼の腕はほかの鳥人間よりもずっと逞しかった。腕まくりした制服の赤のチェック柄が横に伸びている。仕事柄、ペンキを塗る右腕の筋肉が少し余分に盛り上がっている。ここのところ筋肉がついてきたと思っていた自分の肩や二の腕が、やけに貧相に見えた。やっぱり大人の男の人には敵わない。こんな時に、わたしは何を考えているのだろう。

 「大地に足を着けているからこそ、見える世界があってもいいはずなんだ。空高くから世界の表面だけを見て生きていけるなら、きっとそれが幸せなんだろう。けれど、僕は空を飛ぶことができなかった。地面に足をつけていると、その中に生命があることを感じる。同じように大地に生きる人々の、生々しい声が聞こえる。平和的な毎日の営みの中に混じる、嫉妬や怒り、絶望の声。そういう世界があるってことをちゃんと知っている人は、優しいんだ。自分だけの価値観を押し付けてそれを『正義』なんかと取り違えないし、そういう知っている側の人たちと生きている方が、よっぽどリアリティがある」朔は、じっと彼の目を見つめているほかなかった。

 「僕はスズ様が好きだ。あの人は、どこか劣等感を抱えて、それでも前向きに生きている。幼いながらも、その体に喪失感を住まわせている。そしてそれを、追い出そうとはしない。それさえも愛した上で、成長しようとしている。僕は、彼女のそんなところに癒されてもいるんだ。もちろん、これは健全な考えではないのかもしれない。スズ様には、好きなことでも得意なことでもどちらでもいい、ご自身の能力を開花させて、自信をつけてもらいたいとも思う。けれど、そういうことを想像すると、僕はたまらなく寂しくなる。闇を共有する仲間を失ったような気分になる。きっと僕は意地の悪い人間なのだ」

 そこまでを一気に言ってしまうと、ルルははっとしたように朔の肩から手を放し、前を向いた。

 がさり、がさり。

 歩みを進める二人に、沈黙が流れる。

 「北の方に行ってみよう。スズを探しに」

 朔はそれだけ言って、あとは二人とも黙って歩いた。

 結局、その日もスズは見つからなかった。

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第8章(6)「事件は、何の前触れもなく起きる」(王 四十七歳)

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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