【長編小説】『空色806』第14章(5)「歴史の短針を進めるべき時が来た」

空色806

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【長編小説】『空色806』概要・目次(作:陽月深尋)

 キベとリセは、確かに瓜二つだった。背の高さ、木の枝みたいに細い足、左右どちらかの欠けた、ぎょろりとした目。けれど、こうして並んでみると、二人はまるで別人のように見えた。ほんの五分だけずれた誕生時刻、暮らしぶり、話してきた相手、考えてきたこと、そういう後から付け加えられた人間的な営みの違いによって、この双子はもはや似通った点をさほど持ちあわせてはいなかった。

 「キベ、この五年間、お前がたびたび私のところを訪れてくれていたことはもちろん覚えている。私は今こうして話している私とは、少し違っていたかもしれないね」

 「この五年間の兄さんは幸せそうだった。それまでの兄さんは、苦しんでいたじゃないか。俺は十五の時に楽器に人生を懸けることを決めた。けれど兄さんは、何でもできて俺より人望も篤い兄さんは、どういうわけか苦しんでいた。俺に好きなだけ楽器に打ち込むことを許してくれて、自分は早くから城に仕えて俺に仕送りをしてくれた。それでいて、自分には人生を懸けることのできるものがないから、と笑いながら俺に何かを託していた。俺にはそれがちょいとばかし重かったし、ある意味でショックだったんだよ。俺の持っていないものを全て持っている兄さんが、俺よりも苦しんでいるんだから。双子なのに、俺たちの持っているものも、好きなことも、世界の見え方までもがぜんぜん違っていた。母さんはそのことでいつも可笑しがっていた。俺は楽器を作りながら、いつも兄さんのことが頭から離れなかった。兄さんの夢中になれることはいったい何なんだろうって、そればかり考えていた」

 「そしてそれは、五年前の出来事で解決した。少なくとも、お前にはそう見えたんだろう?」

 「そうさ、だって兄さんは言っていたんだ。もう夢は叶った、って。実際にそうだったんだろう? それは少しばかり寂しいことでもあった。兄さんはもう、ここにいて俺という存在をある意味ではもう見てはいなかったようだったから。けれど、俺は兄さんの顔からあの寂しそうな笑顔が消えて、本当の微笑みが見られたことが嬉しかったんだ。同時に俺自身は随分ときつい五年間を過ごすはめになったけれど、これはある意味で代償のようなものだったんだと思うようにしているんだ」

 「確かに」と兄の方は頷いた。

 「私はお前に嫉妬していたんだと思う。ほんの少し先に生まれたことで、遅かれ早かれ私が城に仕えることになるというのは決まっていたんだ。だから、お前がそれを気に病む必要はない。私は、どうにかして言い訳を作りたかったんだと思う。優秀な兄として、好きなことに打ち込む弟を応援してやる優しい兄を演じ、自分は健気にそつなく城の教育係をこなすことで、自分の人生に対する小さな疑問みたいなものから目を逸らそうとしてきたのかもしれない。自分は何のために生まれてきたんだろう、なんて疑問を抱えてどうしようもない環状のトンネルをぐるぐる廻る自分を、まっすぐ迷いなく進んでいくお前の道を作ってやることで、もうお前はひとりでにその道を見出しているにもかかわらず、その道を高尚な自己犠牲によってあたかも見出してやったかのように振る舞うことで、自分に役割というものをあてがって生きてきたような気がするんだ。私の言わんとすることは、分かるだろうか」

 「よく……わからない。俺は兄さんみたいに頭がよくないから」

 「要するに、私はお前をある意味で利用していたんだ。自分をどうにか正気に保つために。それに、私は城の仕事をわりに気に入っていた。カードル様の前の王様は、病気がちで短命だったけれどとても心の優しい方だったし、彼の息子である、今は村一番の鍛冶屋になっているカイヤ様もそれはそれは元気で、幼い頃から自分の進むべき道を持っていらして、そういう方の人生に寄り添いながら支えているという仕事は、とても安全な生き方のように思えた。カードル様がコックから王になった時も、この方の陽気で優しくて、時に頑固であわてんぼうの性格は、私にとって支え棒みたいなものだったんだよ。誤解を恐れずに言えば」

 「兄さんは強い人なんだ。強くて、努力家で、自分の生き方に自信を持っている。それに欲もない。だから城の教育係が務まったんだろう? そして、その兄さんはどういうわけか苦しんでいて、それはあの演奏によって解決されていたんだ。少なくとも五年の間は」

 「そう、私は負けず嫌いで、なのに実は何も持ち合わせていない自分を隠すために必死だった。物知りで、何かを悟った老人のふりをしていたんだ。そしてあの演奏はそんな私に与えられた奇蹟だった。私は羨望と自己否定と迷いのトンネルから解放され、何とも比べることなくただ安眠を貪っていられる世界を手に入れたんだ。もうこの世界の実際的なものごとにはすっかり興味を持てなくなった。持つ必要がなくなったんだ」

 「だから、またあの演奏を聞かせたいんだよ。みんなに。苦しんでいるみんなに。兄さんだけじゃない、この国の少なくない人たちが、いや恐らくは俺も含めた全員が、何らかの形で苦しんでいるんだ。もう何十年も自分のやりたいことだけをやってきた俺にとって、それが楽器職人としての使命みたいなものなんじゃないかって思うんだ。そのために、楽器を作り続けてきたよ。そっくり城の隣の地下に放り込まれているさ」

 そう言い放って、キベはカードルを睨みつけた。カードルはもはや自信を失っていた。彼の双肩には、自分が行ったことの正しさを証明するものと、過ちを責め立てるものとの両方がのしかかっていた。

 「けれど、もう奇蹟は終わった。カードル様がおっしゃったように、ホープ様はもういない。幼い背中には重すぎるほどの責任をかぶって、あの人はこの地を去った」だからもうこの話はもうやめよう、とリセは座りかけた。

 「終わっていないとしたら?」

 この瞬間を待っていたのだ、と言わんばかりにキベは隣にそびえる布に手をかける。

 どうしてあのピアノを持ってきたのだろう、薄々自分にみなの視線が集まることを近くに感じながら、朔はまだ事態の部外者であろうと努めていた。

 「終わっていない?」今度はカードルが声を上げる番だった。

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第14章(6)「歴史の短針を進めるべき時が来た」

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