【長編小説】『空色806』第16章(1)「音楽をもういちど」(王 四十七歳)

空色806

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【長編小説】『空色806』概要・目次(作:陽月深尋)

 一週間は、それは七日間で、一六八時間で、一万と八十分で、六十万と四八〇〇秒で、そんな数字の上では平等の、いつもと変わらないはずの一週間は、恐ろしく長く、そしてあっという間に過ぎ去った。

 雨が降っていた。トラリアの周りは分厚い雲に覆われ、地上と行き来する鳥一族でさえ、帰り道を探すために苦労するほどだった。

 期限は今日。誰もがそれを知っていた。今日。今日。今日というのは、みなで朝食を摂る時だろうか。それとも掃除をしている時? 王が午前の郵便チェックを終えた時、昼食、午後の平和なひと時、それとも日が暮れてから? 今日というのは、正確にはいつのことを指すのだろう。この明確に規定された二十四時間は、その中に無限の時間を抱えていた。いつだろう、いつ王はみなを集めるのだろう。それは死刑執行を待つ瞬間に等しいと言っても言い過ぎではなかった。

 「サク、遊技場の隣の楽器倉庫だって。あの空き部屋、楽器倉庫だったんだよ。忘れてた」

 静かに部屋の扉を開け、レベッカがそう知らせてくれたのは、朔が時間を持て余しながら読書をしていた午後四時頃のことだった。サンドラの部屋にあった『花が四季を作る』という題の本は、三ページ目で止まっていた。春の花。朔は見慣れた淡いピンク色の花びらをぼうっと眺めていた。

 あの楽器倉庫。わたしと、もう一人のスズしか知らないあの夜のこと。あれがホープだったとすれば、今のわたしは一体何なのだろう。同じ時代に同じ人物は二人いてはいけないって、少なくともその二人は出会ってはいけないって、何かのSF映画で見た気がする。

 「ありがとう、すぐ行くね」朔は目の前の本を閉じ、丁寧に本棚に戻した。そう言えば本棚を掃除したことがなかった。だめだな、職務放棄だわ、あとで掃除しよう。本の上にほんのり積もった埃を見つめながら、部屋の外へと歩みを進めた。やっと終わる。

 ヨーテ。この城に調理係として住むようになってから、もう六年になる。経歴不明。

 ニーマ。計算ミスの多い財政係。目標は貨幣制度の撤廃。経歴不明。

 オーイシ。フラスコへの人の出入りを管理している。自称ロボット。経歴不明。

 ソメイ、ヨシノ。双子の男女の兄妹。両親がフラスコに入り浸っているため、城に住んで王を手伝っている。と、彼らの祖母を名乗るものから託されたが、実際の経歴は不明。

 リセ。代々城に仕える一族の嫡子。カードルに代替わりした際、仕事を辞め、好きなことをしても良いと勧められたが、現職に留まった。

 ルカ。鳥一族。カードルが就任する前から、城のそばに住まい、郵便業を営んでいる。その感知能力から、医師との連携も図っている。

 ルル。鳥一族。ペンキ係。

 スズ、レベッカ。カードル王の娘たち。

 カードル。彼は現在、このトラリアの王である。就任以前の経歴、城のコック。

 楽器倉庫には、これだけの人々が集まった。キベもこの重大な集まりに招待されたのだが、彼はもうこれ以上主張することはないと、小屋から出てこようとはしなかった。

 「まずは、いつも生活を共にしているみなに、私の考えを聞いてもらいたい」

 何もないがらんとした部屋で、彼らは立っていた。例の古ぼけた木箱と、一週間の滞在のあともなお、強烈な違和感を放つキベのピアノを除いて。

 「これは」王は木箱の上に手を置き、いきなり核心を突く。

 「これは、五年前にホープが使ったピアノだ。みなも知ってのとおり、あれからこの国では一切の音楽が禁じられた。使われていた楽器は、隣の塔の地下に収容されている。私は当時、スズとホープの起こした奇蹟を危険なものだとみなした。愛する娘と妻に永遠に会えなくなるという代償と引き換えに、国民から音楽を奪った。あれは、音楽という素晴らしい娯楽を国民から奪う罪悪感を、自分もつらい思いをしているのだと思い込むことで、自慰していただけなのかもしれない。彼女たちにその罪を背負わせて。とにかくそうしてしまった以上、私は音楽を危険分子とみなすよりほかなくなった。リセやニーマや、その他の国民たちを見て、彼らの状態は異常だ、彼らがあれで幸せになるはずがない、と努めて信じこむようにした。そうでなければ、サンドラとホープの犠牲はいったい何だったのだ」

 彼はやや声を荒げ、特にリセとニーマに向かって乞うような眼差しを向けた。

 「そしてその結果は、奇蹟が解けたことで明るみに出た。何か作用があったのか、魔法の時効が訪れたのかはわからない。けれど一週間前、ついに私はそれが彼らを果たして幸せにしたのかどうかを目の当たりにしなければならなくなった。その答えは」うつむく王。その頭頂を見つめる者たち。見つめるわたし。

 「どちらでもなかったのかもしれない」王はまるで人間の優しさを司る一番たいせつな部分をえぐり取られているかのように、顔をしかめながら左の胸を押さえた。この城は、いや、この国は、とても静かだ。ここの静けさにはいつまでも慣れることができない。騒々しさは、時に人の心を救うこともあるのだ、とここに来てから知った。

 「幸せになった者もいたし、そうでない者もいた。結果は、白か黒かではなかったのだ。私は王として、国民の幸せを願う者として、道しるべを失ったような心地だった。国民の総意はどこにあるのか、それを見極め、決定する権利が私にはあるのか。情けない王だと自分でも思う。ただ、王という地位を抜きにして、一人の人間として、私は私の五年前の決断を信じたい。たとえそれがただの悲観的自己陶酔に過ぎないにしても」

 王は答えを言い切った。しかし、同時に答えを言ってもいなかった。五年前の決断? つまり、引き続き音楽を禁止するということだろうか。楽器はどうなる? 再び奇蹟が起こるかもしれないという可能性に懸ける人々の気持ちは? リセやニーマが目を覚ました以上、事態は五年前とは全く違ってしまっているのだ。それに、わたしはどうなる? わたしはここで答えを見つけなければならないのに。

 朔は続けざまに出てくる疑問符を体の中に押し込めておくことで精いっぱいだった。

 「王様に同情して申し上げるわけでは決してないのですが」
 おほん、と咳払いをしてから、背筋をぴんと伸ばしてリセが口を開いた。彼は頼りになる。長男とは、こういうものなのだろうか。いつもここぞ、という時に手を挙げるのは、リセだった。

 「私個人としましては、もうあの状態になることは御免こうむりたいですね。なんというか、あれは人の生をまっとうに生き抜いた者だけが許される領域であって、そうでない我々には少々持て余すような空気がありましたから。現に肉体部分は取り残されたような状態になっておりましたし」

 「あなたは老い先短いからいいだろうけど」ニーマが危険を察知したように口を挟む。

 「正直言って、人生ってやつは劣等生にとってはあまりに酷なんだよ。僕が何をした? 努力を怠った? いや違う。生まれながらにして不公平だったんだよ。それにしても、どうして僕はここでずっと財政係なんてしているんだろう? 毛むくじゃらで筋肉質な奴は、外で材木運びでもしているほうがいいんだろうか。僕はもう、そんな風に言われることにうんざりなんだ。僕が読書好きじゃおかしいか? ほんとうはヨーテやスズ様たちとクッキーを焼きたいと思っているなんて言ったら笑われるだろう? それに、一週間前の国民たちの話を、王様も聞いたでしょう。彼らは悪いことをしたわけではない。ただ単に、運に恵まれなかったんだ。そんな、今まで苦しんできた彼らの平和を望んでやることが王の役目だと、恐れながら僕は思うのですよ。一旦、みなを平等な舞台に立たせてくださいな」

 やけに薄暗い部屋だった。日が沈むには、まだまだ時間があるはずだった。

 ここには窓がないのだ、と少女は思い当たる。ゆっくりとうなずき、道化を演じていた財政係の言葉を飲み込む父を見ながら。ここは、陽の目をみない部屋なのだ、と。

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第16章(2)「音楽をもういちど」(王 四十七歳)

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