【長編小説】『夢のリユニオン』第1章「直線というよりも環状」

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【長編小説】『夢のリユニオン』概要・目次
彼女が僕のベッドに腰かけて静かに語った時の様子を、僕はまだありありと思い浮かべることができる。年が明けて間もない、ある寒い冬の日だった。
「こういうのがずっと続くって思ったら、うんざりしない? つまり、同じところをぐるぐると回り続けているようなことよ。わたしたちはどこにも行けなくて、ただその円を回る速度や、回る回数を注意深く見極めながら生きているってことが。そして、それがたぶんこれから何十年も続くってことが」
彼女はベッドから少しはみ出たシーツを手で弄びながら、床にあぐらをかいて座る僕の右膝あたりを見つめていた。
「それは、何かをきっかけに変わったりしないのかな。例えば僕が君と結婚したりするようなことで」
僕は、少なくともそのころの僕は、彼女の頭の中を理解するにはあまりに平凡すぎた。それまで幾度となく繰り返された彼女の言葉を、僕は彼女のからだにあるホルモンバランスのせいだと片付けていた。
「ばかね」彼女は眉のあいだに見えるか見えないかくらいの小さなしわをつくり、少し笑った。彼女の中にはもう明確な答えが存在して、僕の意見の入る余地は米粒一つぶんも残されていないときの話し方だった。
「そういうこととは、根っこのところから違うのよ。わたしがあなたの法律的妻になったとしても、そうじゃなくても、こんなふうにだらだらと続く毎日のことよ。朝ごはんを食べたり、体型を気にしたり、水道のお金を払ったり、そういう何もかも全部。そして歳を重ねるほど面倒は増えて、希望みたいなものは色あせてゆく。そうなるってことが、わたしにはわかるの。わたしが言っているのは、どうして心身二元論は力を失っちゃったんだろうってこと」
その言葉は僕の心臓の左下あたりに留まり続け、彼女が二十五で死んで、季節が十回巡って、離婚をして、ガールフレンドを三回取り替えたあとでも僕の血液を冷たく送り出し続けている。
そして僕らはみんな四十歳になった。十五年前から歳を取らない彼女だけを残して。
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第2章「不健全な魂を救う職業」
書いた人
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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