【長編小説】『夢のリユニオン』第5章「もともと別の方向を向いて生きていたに過ぎない」

星空

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【長編小説】『夢のリユニオン』概要・目次

 同じころ、彼らの元級友たちも同じ手紙を受け取っていた。
一九九二年度卒の二年五組には四十五人の生徒が在籍していた。この私立高校に通う男女の比率はほぼ同じで、県内ではそれなりの進学校として知られていた。

 甲林鈴子(こうばやしすずこ)は、希光学園の進学校性を精神科医の藤井叶子ほどは活かさなかったものの、俳優の相沢邦晴(あいざわくにはる)や、人生の落伍者としての道を突き進んでいる大谷俊哉(おおたにしゅんや)ほど無駄にしてもいなかった。

かつてのグループの中で、彼女は佐藤よりもさらに目立たない存在だった。
佐藤のように、平凡性を逆に個性にできるほど徹底されていたわけでもなく、常に周りの雰囲気に自分を馴染ませてしまうような、いつも籠の底にある空気の抜けたゴムボールのようなところがあった。

そんな彼女は四十にして五人の子どもを持つ母になっており、小さな税理士事務所でそれなりの地位に就いていた。
控えめで上品な四年制の女子大を出て、学生時代にバイト先で知り合った二つ歳上の男性と二十四歳で結婚した。

男性の品定めを繰り返しながら三十五歳を迎えてしまった友人たちを見ていると、甲林は不思議な気持ちになった。
彼女たちは、目の前の人以外にもっといい男性がどこかにいて、いつかその人と巡り会えるのだと信じて疑わないのだった。
そして、彼女たちは誰と巡り合っても同じような感情を抱くようになり、一方でさっさと結婚してしまいたい女性たちは、うまく目の前の男性に狙いを定め、彼らを市場から買い取ってしまうのだった。

高校生のころ、甲林にとって恋愛というのは縁のないどこか遠い国のものだった。
彼女ほど積極性という言葉の似合わない人物を見つけるのは容易いことではなかった。
同じグループであっても、常に自分のほかに少なくとも一人の女子がいないことには、口をつぐんで一点を見つめてしまうのが常だった。

そんな彼女も、五人の子どもを持つようになって変わった。
大きく口を開けて笑うようになり、眉間にしわを寄せて怒るようになり、五人の子どもたちのために、仕事に家事に明け暮れていた。税理士事務所の事務作業が特に好きな仕事だったわけでもないし、自分の人生のどの部分が他の人のそれと違っていたのかと問われると、上手く答えることはできない。

けれど、そんな疑問にいちいち立ち止まって考えこんでいられるほど、彼女は暇を持て余してはいなかった。
甲林は、パッとしなくとも優しい夫と五人の健康な子どもたちに囲まれて幸福を感じていた。そしてそんな幸福を、これからも守っていきたいと思っていた。

だから甲林が同窓会の開催を知らせる手紙を受け取った時、それは彼女の心を大きく揺さぶりはしなかった。
同級生を懐かしく思った誰かが、それぞれが今の現実に持つ認識を大きく変えてしまいかねないリスクのある本物の同窓会の代わりに、こんなイタズラめいた手紙を思いついたのだろう。

松永だろうか。いや、彼なら本物の同窓会をするだろう。

同じクラスにいたのは、ほかに誰だっただろうか。甲林はほとんど顔を思い出せないクラスのメンバーたちに半ば申し訳なさを感じながら、子どもの夏休みが終わるその日まで同窓会のことなどすっかり忘れていた。

 甲林とは違い、そのように考えこんでしまえる暇を有していたのが、大谷俊哉(おおたにしゅんや)だった。

どこまで遡れば彼の中にその傾向が見いだせるのか、という問いに明確な答えはないだろう。
高校生のころの大谷は、藤井といつも成績上位を争う人物だった。そしてほとんどの場合、大谷がトップの座を取るのだった。二年五組の担任であった五平(ごひら)は「学年の成績上位二人がうちのクラスにいるんだから、鼻が高い」と、大谷と藤井ペアをことあるごとに引き合いに出した。そしてそのたびに、大谷は藤井からの宣戦布告を受けることになった。

 「次は絶対に私が一位だから。悪いけど夏休み、あんたたちと遊ぶ暇ないからね」

 「そっか。でもせっかく高校二年の夏休みなんだし、花火くらいやろうよ」

 大谷はいつも淡々と、あまり無駄口は叩かずに伝えたいことをうまく伝えることができた。笑うと困ったようなハの字の眉になるところが、彼の印象をさらに良くしていた。自分の成績に驕るところもなく、藤井のように負けず嫌いなわけでもなく、人当たりのいい天才肌の少年だった。

 「ふじいちゃんは医学部志望だもんね。勉強も大変だよね。勉強合宿なら来られるのかな?」

 「あんたたちがサボらないならね。あと、数Ⅲ教えてくれるなら」

 藤井は、クールでドライな女だというクラスメイトからの評価に対し、グループ内では素直になれない、負けず嫌いで不器用な女の子という位置にいた。そしてその仲間からの扱いは、精神を病んだ母を持つ藤井の心を少なからず軽くした。

 そしてそんな優秀で、心優しく、気遣いのできる大谷の人生は大きく方向転換を迫られることになる。どこかにきっかけとなる角度的なズレのようなものが存在し、そこからどんどんとベクトルはおかしな方向を向き、気付いたころにはもううまくもとの方向へ舵を切ることができなくなったのかもしれない。そのきっかけとは、大学時代に一年間留学したアメリカでのできごとだったか?

 あるいは母親が自殺し、そこから上手くいかなくなって関係がうやむやになってしまった藤井への残想か?
 誰もが羨むような大手総合商社に就職したあの年からだろうか。

それとも人生にそのような外れるべきルートなど存在せず、目に見える結果としては堕落した現在の大谷も、紛れもなくかつて神童と呼ばれた大谷がなるべくしてなった姿なのかもしれない。
そんなことは、もう大谷にもわからなくなっていた。おそらく、何もかもが大谷をそうさせてしまったのだ。一つの原因に的を絞ることができるほど、問題は単純ではなかった。あるいはそれは、すでに問題ですらなかった。

 留学を終えた大谷は、何の苦労もなく就職一番人気の総合商社から内定を勝ち取った。成績優秀で、人当たりも良く、きめ細やかな気配りと爽やかな笑顔を持ち合わせた彼にとって、就職活動は科目数の少ない大学受験のようなものだった。案の定、同期の中でもほとんどトップで入社し、研修でリーダー性を発揮しようと意気込む同期をさりげなくフォローし、早い段階で上司にも一目置かれていた。

 そして、綻びは意外にも早く発露する。
真面目で素直な大谷は、一般的な新入社員と同じようにとにかくがむしゃらに仕事を覚えた。日が暮れてなお数時間仕事をし、上司や同僚に飲みに誘われれば行かないわけにはいかなかった。大谷はそこで、考えつく限りのあらゆる人物に出会った。

大学時代までとは違い、自分の父親よりも年が上の人物と仕事をすることもざらにあった。
そして世代のあいだに確かに存在する、物ごとへの認識の違いや個人の傾向の多様性を知った。報連相を何よりも崇拝する人、逆に報連相など時間の無駄だと信じ、個人のパフォーマンスを上げることに重きをおく人、部下を支配することにこだわる臆病者、後輩の成長を信じるという大義名分に任せて仕事を丸投げする先輩、いざというときに責任逃れをする上司。陰湿ないじめだとか、ノルマの強要はなかった。
みな、表面でうまく付き合っているぶんには気のいい人物たちだったし、それなりに仕事もできた。そしてそういうつきあい方は、大谷の十八番であったはずだった。けれど、大谷は同時に感じた。「大人とは、大人にならなくともなれるものなのだ」と。

 大谷は自分の感情をひとまず抑えこもうとした。これほど自分の中に様々な感情が渦巻く感覚を、彼は知らなかった。この感情は、環境に慣れるまで一時的に発現している拒絶反応のようなものにすぎないのだと考えるようにした。大学という臓器を失った彼は、これからも生き続けるために会社という臓器を体に移植する必要があったのだ。

 そして新しい借り物の臓器は、彼の体についに馴染まなかった。彼がやっとそのことに気がついたのは、会社に入って一年と少ししてからだった。まず、肩こりと腰痛がやって来た。彼はそれを、デスクワークによる弊害だとみなした。続いて頭痛と胃痛がやって来た。

大谷はもともと、体がそれほど丈夫というわけではなかった。少し酒を控えたほうがいいのかもしれない、と彼はできもしない想像をした。大谷の勤める商社は、彼の通っていた大学でうわさになっていたアメフト部よりも激しい飲み会をした。そして、日頃の激務と緊張から解放された独り身の同僚たちは、揃って風俗に通った。誰に言えるわけもないが、大谷は風俗で童貞を捨てた。

 そして、眠れない夜がやって来た。夜中に何度も目覚め、そのたびにきつく歯を食いしばっている。夢の内容は誰かを殺していることもあれば、誰かに殺されることもあった。それほど明確な形で現われなくとも、何かしらの比喩を通して彼は生と死、人間の弱さと醜さを夢の中で幾度も体験した。
恐竜、洪水、ゆるやかな落下、息のできない部屋。大谷は自分の中にこのような凶暴性が潜んでいたことを恥じ、次第に眠ること自体に恐怖を覚えるようになった。不幸なことに、彼には相談できる存在がなかった。離れて暮らす両親のうち父は地元の県庁に勤務を続けていたし、母は地域のボランティアとパートを掛け持ちしていた。きょうだいはいなかった。大谷は友人のことが好きだった。けれど実際自分がこのような状態になって、自分はこれまで友人に対してほとんど心を開いていなかったのだという事実を自覚することになった。

 そのようにして大谷はついに会社に行くことができなくなり、二年半の休職を経てファーストキャリアを終えることになった。彼は何もかもに絶望していた。会社に、社会に、世界に、そして自分自身に。

 自分はこの世に生きる価値などない人間なのだと思うこともあれば、死ぬ思いをしてまで生きる価値などこの世にはないと思うこともあった。生きる意味などないのだと思えば思うほど、生きる意味は求められることを求めた。思考すればするほど、彼の足元は柔らかな泥に絡め取られることになった。それはある意味で心地よくさえあった。この奇妙な心地よさが自分の鬱状態を間延びさせているのだ、と大谷は気が付いていた。けれど、十五年以上の無職期間を経て、今さら大谷に変化を求めるのは酷とも言えた。

 なぜ人は、ただ生まれて死ぬのだろう。

 なぜ人は、最後には死んでしまうのに、懸命に生を引き延ばそうとするのだろう。

 なぜ人は、生きているうちから死んでいることを知らねばならないのだろう。

 正義と正義は、どうして争いを生むのだろう。

 豊かさを目指すことは、どうしてこんなにも貧しいのだろう。

 人の命の重さに区別はないと叫ぶ人が、どうして自分の命を軽んじるのだろう。

 個人の意志と、集団的な社会の流れはなぜこれほど食い違うのだろう。

 何もかもが、矛盾している。

 大谷の頭の中は、常に思考で満ちていた。思考など何の腹の足しにもならないと自分で気づきながら、人間が腹を満たすためにこれまでの歴史で破壊され続けてきたあらゆることが頭に浮かんだ。地球の裏側で同じ人類が飢えているあいだ、こちらの人間は無限にある選択肢から食べたいものを選び、残りは全部捨ててしまった。そして人間たちは、腹が満たされても満足することはなかった。

 もし大谷のそばに彼の魂に触れられる人物がいたなら、彼は太陽のまるで届かない地中深くの決められた領域の中で、延々と新しいトンネルを掘り続けていたに過ぎないと気がついただろう。けれど不運なことに、あらゆる意味において大谷は孤独だった。大谷は四十歳を迎え、皮肉とも言えるが今の彼を生かしているのは、彼が最も矛盾を感じ続けている国の制度だった。

 そんな大谷のもとにも、例の招待状は届いた。大谷は、このように落ちぶれた姿を級友のだれかに知られているのだという事実に深く傷ついた。彼の心は決して癒えることなく、それでも新しい傷を受け入れる繊細さを残していた。

 「どうせ眠れないのだから」と彼は思った。眠らなければ、夢の中の同窓会などという馬鹿げた催しにも参加しなくて済むはずだ。それでも大谷は注意深く、招待状全体に太い油性マジックで「不参加」と書き記し、家のポストに入れっぱなしにしておいた。

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第6章(1)「実際に目の前に現れるものとしての過去」

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
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