【長編小説】『夢のリユニオン』第6章(3)「実際に目の前に現れるものとしての過去」

星空

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【長編小説】『夢のリユニオン』概要・目次

 がらがらがら、と前方のドアが開いて一気に十人くらいの人間がなだれ込んできた。振り向きざまに時計を見ると十一時三十分だった。いい時刻だ。相沢はその中に、かつての友人であったとの姿を認めた。助かった、と相沢は思った。これで少なくとも、距離の測りきれないぎこちない会話を続ける必要はなくなった。

 「よう新堂、なっちゃん。久しぶりじゃねえか」そう言えばこの二人は付き合っていたんだっけな、と二人の繋がれた手を見て相沢は思った。

 「ハルじゃない。全然変わらないね、って当たり前か」

 なっちゃんと呼ばれた越智は、かつてあだ名で呼び合ったイノセントな関係を慈しむように相沢に笑みを向けた。瞬間、相沢はどきりとした。彼女は越智が記憶していたよりも魅力を増しているように思えた。その時の越智は、可愛いというよりも蓮の花のような透明な美しさ、という印象を相沢に与えた。触れれば消えてしまいそうな、儚さを伴った美しさだった。
 同時に、相沢は越智をひどく遠いところにいる人物であるように感じた。彼女と手をつないでいる新堂に対しても、似たような感情が湧き出てきた。この二人は、高校生のころからこういった類の天女の羽衣のようなオーラをまとっているところがあった。二人の周りだけ空気が澄んでいくような。そしてきっとこの二十何年かのあいだにその差が大きく開いたのだ、と相沢は結論づけた。
 それは劣等感のような感情にも似ていた。芸能界に入って、不倫や二股や略奪なんかを日常的に目にして、それらと仕事が密接につながっていくさまを見て、自分自身が灰にくすんでしまったのだと。高校生の姿をしていても、中身はすっかり淀みきった中年なのだと。そしてその気になれば、相沢にだって目の前の二人のような純粋な心を持ったまま四十歳を迎えることができたかもしれないのに、と。いや、そんな希望的仮説はここでは意味を持たない。

 「この教室懐かしいな。四十歳にもなるとさ、みんなそれなりにいろんな人生を歩んでいるもんだね。わたし、ここに来る途中でみんなの話聞いてびっくりした」教室をぐるりと見回してから発せられた越智の言葉に、相沢は驚いた。

 「来る途中? いきなりこの教室に来たんじゃないのか」

 「ううん。家から普通に登校してきたよ。はじめはほとんど人なんていなかったんだけど、この教室に来るころには人がたくさんになってた」夜の学校ってこわいね、と越智は自分の両腕で自分を抱きしめた。

 「僕は、気がついたら校庭にいたんだ。ここに来る道順も人それぞれなのかな」越智に離された手のやり場を探しながら、新堂が横から口を挟んだ。

 「そうなのか。おれはいきなりこの教室だったぜ。こてん、ってすぐ眠れるからかな」ししし、と相沢は、まだニコチンに侵されていない白い歯をむき出しにして笑った。ここでは皆が、少なくとも外見だけはあのころのままの自分に戻ることを許されていた。まだ手付かずの、真っ白な自分に。
 高校生の相沢はこうは思っていなかった。自分は他の生徒とは違う、己の中に黒を抱えた存在なのだと知っていた。そしてその暗闇性は、自分を他の生徒とは一線を画す者にしているのだと。けれど今なら彼にもわかる。高校生というのは、ただそれだけで真っ白だったのだと。自分の器が小さすぎたために、その中にひとしずく落ちた黒い染みに、自身が真っ黒に染められたように感じていただけなのだと。

 「他のみんなはまだ来てない? ほら、えいちゃんとか、シュンとか、ふじいちゃんとか、リンとか、鈴木とかのこと」新堂があたりを見回して、かつて仲のよかったメンバーを探していた。松永栄一、大谷俊哉、藤井叶子、甲林鈴子、鈴木一朗。相沢は確認するようにこめかみをさわりながら、仲間の名前を側頭葉から引っ張りだしていた。そのあいだにも新堂は、目が合ったそれ以外のクラスメイトと器用に会話をこなしていた。当り障りのない、水槽の中を水草を避けながらすいすいと泳ぐような会話。その中の誰ひとりとして、相沢は認識することができなかった。

 「ああ、あいつらな。もうすぐ来るんじゃねえの? そう言えばリンは、十時ぴったりにここに来たんだよ。そん時、おれたち二人しか来てなかった。で、あいつは旦那の飯の準備があるとかでどっか行っちまって。それで聞いてくれよ。ここにある飯と飲み物、おれが一人で取りに行ったんだぜ。覚えてるか? 第一学舎に家庭科室があって」相沢は、堰を切ったようにこれまでのできごとを話した。かつての友人を前にして、ようやく相沢なりに状況が整理できてきたのだ。

 「席に座ろうよ。わたし、みんなの話が聞きたい」越智が近くの机を動かして、島を作り始めた。新堂と相沢もそれに続いた。異論はなかったが、相沢はみんなの話を聞くのが少し怖くもあった。

 それから三十分ほど、新堂と越智と相沢は三人で話をした。途中で名前もわからない太った女が話に入ってきて、放水したダムのように一人で話をしてから、別のグループに移っていった。あたしは今はこんなに太っていてブスだけれど、大学に入って三十キロも痩せて、社会人になってお金を貯めて整形もして、本当に人生変わったのよ、といったようなことを。今日その姿をみんなに見せてあげられなくて残念なくらい。きっと街であたしに会っても、みんなあたしのことわからないわよ、と。彼女は今晩、クラスメイトたちにずっとその話をして回るのだろう。自らの劇的な人生を確認するために。平凡な人生しか歩めなかった他の級友と比べて満足を得るために。そして彼女はおそらく気がつかない。彼女がこのままの姿で大人になっていたとしても、街で彼女に気がつく人物などほとんどいなかったという事実に。そして、彼女の人生もまた、ありふれた平凡な一人の人間の人生に過ぎないことに。ぱっとしない俳優をしている相沢や、量産されて使い捨てられる記事を無数に書き続けるフリーライターをしている新堂と同じように。

 話の重複性については、相沢もうんざりしはじめていた。甲林、井上たちに続いて、今度は新堂と越智に対して自分が俳優をやっていることを話さなくてはならなかった。華やかさに欠ける華やかな世界の仕事についてを、少しの謙遜と少しの誇張を織り交ぜて親切に話してやらねばならなかった。しかし、話さないわけにはいかなかった。それは挨拶のようなものだった。二十三年前に気だるく手短に交わされた「おはよう」は、年月を経てじっくりと間延びし、市民権を獲得したのだ。そしてそれらをすっかり話してしまうと、もう他に何を話して良いものかさっぱりわからなくなった。

 「お前ら、二人でゆっくり話せよ」相沢は居心地が悪くなって席を立った。

 「何でだよ。時間はまだまだあるじゃないか。僕たちのことは気にしないで」新堂は不思議そうな顔をして言った。

 「じゃあ、わたしたちは料理を取ってくるわ。まだ食べてないの」勘のいい越智が、席を立った。少し、一人になりたい気分だった。相沢は教室を出て、廊下を出て二十メートルほどのところにある手洗いの方へ向かった。暗い廊下の中でぽつんと光るそこは、まるで死者を地獄に誘うための入り口みたいだ、と彼は思った。おれは天国に行けるんだろうか。

 「やっと見つけた。な、言ったとおりだったろ。はじめから俺の言う方に行けばよかったんだよ」教室のドアが再度開かれると同時に、甲高い少年の声が部屋に響いた。ドアの近くにいた何人かの生徒が彼を認め、嬉しそうに声をあげる。

 「松永じゃん。久しぶりだなあ。変わんねえなあ」

 「えいちゃん、今日は企画ありがと。おかげで楽しんでまーす」

 「よっ、宴会学級委員! もっと早くに同窓会してくれればよかったのに」ワイングラスに注がれたオレンジジュースを傾けながら、かつての級友たちはかつてのお調子者に口々に声を掛けた。

 「おう。いいってことよ!」松永は、尻を突き出して大げさなウインクをして見せ、彼らの求めるとおりの応え方をした。どっとその場が湧き、松永は彼らの誘いをうまくかわしながら、廊下を少し戻って一人の女子生徒を連れてきた。

 額の髪をわずかに汗で湿らせながら教室のドアから姿を見せたのは、若き日の精神科医だった。高校生の藤井は、当時からクールでドライではあったものの、四十歳になった彼女よりも不器用で感情の揺れがあった。母を救うために、努力を欠かさなかった。世界には、いまだ発見されていない可能性と希望があると信じていた。それは、成長の仕方としてはしごくまっとうだった。もしその時系列が逆であれば、彼女は自分自身を診察するはめになっていたかもしれない。

 「お前、精神科医が道に迷っていいのかよ。人に道を示してあげるのが精神科医じゃないのか?」松永は冗談めかした笑みを浮かべて、藤井を見た。

 「いい、松永くんは三つの点で間違っている」藤井は人差し指を立てて、松永の目を正面からのぞき込んだ。

 「まずひとつめ。私は道に迷ったんじゃなくて、教室の場所を覚えていなかっただけ。ふたつめ。精神科医という職業と、道に迷いやすいという個人的性向のあいだには、相関関係がない。みっつめ。精神科医は、人に道を示す仕事じゃない。その人が道を見つける手伝いをするだけ」

 「お前、年食って面倒くささに磨きがかかったな」松永は藤井の頭をぐしゃっと撫ぜた。

 「セクハラ」

 「ふじいちゃん、結婚してないだろ」

 「それもセクハラ」

 「勘弁してよ」

 二人が教室に入った時、そこには概ね三十人前後の生徒が集っていた。短針はもうすぐ数字の一を指そうとしていた。三十/四十五。良くも悪くもその数が、二〇一六年という時代に四十歳(あるいは四十一歳)を迎えた人々が、午前一時までに眠りにつくことができる割合だった。

 「お、いい匂い。飯食おうぜ」教室に入るやいなや、松永は教室の後ろのロッカーの上にずらりと並んだ料理のほうへ足を向けた。

 「こんな時間に食べたら太るよ。松永くん、いま絶対メタボでしょ」藤井は、ぺたんとへこんだ松永の腹を見て、わざとらしく眉を下げた。

 「いいか、ふじいちゃん。君は三つの点で間違っている」松永はその場に突然立ち止まり、後に続いていた藤井は松永の背中にまともにぶつかった。

 「ひとつめ。これは夢の中で行われている同窓会であり、現実の俺が物理的に太ることはありえない。ふたつめ。残念ながら俺はまだメタボではない。一応気にしてるからな」そう言って松永はくるりと藤井に背を向けて、大きな皿に料理を盛り始めた。

 「ありえん」松永の声は急にしぼみ、彼の足はその場でまたも固まってしまった。

 「みっつめは?」バカにされた藤井は、反撃を試みようと松永に先を促した。しかし、彼の耳にはもうどんな大きな声も届かないようだった。

 「こんなにも酒のつまみがそろっていて、ビールがないってのはどういうことなんだ。おい、幹事。俺にひと言声かけてくれたら、俺の会社のビールを持ってこさせたのに!」松永は、誰に言うでもなく一人で叫んでいた。夜の教室で、高校生の制服を来た生徒たちが酒のつかない豪華な料理を食べながらただ話をしているというのは、実に奇妙な光景だった。教室は太陽のある時間のためのものであり、学びのためのものであり、このように使われることは想定されていなかった。

 「ふじいちゃん、えいちゃん」隣で二人の名を呼ぶ者がいた。

 藤井が声のする方を見ると、そこには新堂と越智の姿があった。

 「なっちゃん、新堂。来てたんだね。特になっちゃん、こういう同窓会とか意味ないって言って来なさそうなのに」藤井は越智の人懐っこい笑顔に話しかけた。

 「まあね。みんな久しぶりだし、ちょっと顔出してもいいかなって。それにこれ、出席拒否の権利なくない?」

 「たしかに」藤井は越智につられて口角を上げた。

 そのようにして、その場にいた者たちがそれぞれの昔話に花を咲かせ、さらに一時間が過ぎた。そのあいだに、教室にいるかつての二年五組の人数は十人ほど増えていた。その中には、リンこと甲林と、鈴木こと佐藤も含まれていた。彼らが眠るまでの話をしておこう。

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第7章「ただ『今』を生きるものたち」

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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