【長編小説】『夢のリユニオン』第9章「知り合い神父への懺悔と、最後の二人」

星空

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【長編小説】『夢のリユニオン』概要・目次

 「さすがに残ってなかったよ」

 弓道部の部室から戻ってきた佐藤、その他二人の男子が教室に戻ってきた。二十四年前の九月、文化祭が中止になるとわかった時に二年五組の生徒たちは自分たちの作ったダンボール製の懺悔室を隠したのだ。部活の中でもとりわけ上下関係の厳しい弓道部の部室の奥に。

けれどその厳しい伝統も、いつまで、何のために守り続けるかわからないダンボールの塊を二十四年の歳月抱え込むことはできなかった。代わりというべきなのか、佐藤たち三人の元弓道部員は弓道着に身を包み、潰された新しいダンボールを抱えていた。

 「どうだ?」佐藤は嬉しそうに、かつての晴れ着姿を新堂たちのところへ見せに来た。

 「うん、素敵。見違えるよ」甲林にそう言われ、佐藤はあからさまに顔を赤らめている。

 「ていうかさ」藤井が人差し指を前に突き出した。これは、藤井の話が論理的展開を繰り広げる時の合図のようなものだった。

 「懺悔室って、お客さんがそこに入って、姿の見えない神父さんに罪を告白して悔い改めるってコンセプトだったでしょう? 相手がわからないから告白できるっていう。でも、クラスメイトのあいだでそれやっちゃったら、誰が何を話したかなんてばればれじゃない。そんなの、怖くて罪の告白なんてできないわよ」

 「確かに」松永がうなずいた。「俺、クラスメイトの前であんなことやこんなことを告白できる自信ないわ」そう言って彼は、身をくねくねとよじらせた。

 「聞きたくもない」甲林がすかさず冷たく言い放つ。

 「リン、お前そんなキャラじゃなかったろ」松永が尻を半分落としたまま、驚きと落胆の混じった声で甲林のほうを見た。

 「当たり前よ。あたしたち、もうあのころの倍以上生きてるのよ。何も変わらないあんたみたいな人のほうが珍しいっつうの」

 「まじかよ」

 いつの間にか、教室は再びがやがやとした話し声に包まれていた。文化祭の再現方法を話し合う者もいれば、これまでの自分たちの話を再開する者もいた。夢の中の彼らに眠りや疲れは訪れなかった。

 「懺悔室、なくなってよかったんじゃない?」越智が口を挟んだ。

 「どういうこと?」横で腕組みをして考え込んでいた新堂が言った。

 「だってもう、懺悔室にこだわらなくて良くなったってことでしょう? 文化祭の出し物」

 「だめだ。二年五組の出し物は、懺悔室でなくちゃならないんだ」新堂は越智の目を見て答え、それから松永、相沢、藤井、甲林、佐藤の顔を順番に見て、最後に教室をぐるりと見渡した。それは、人間に赦しを与えようとする神のまなざしに見えなくもなかった。

 「それにしても、当時の俺たちはまたどうして懺悔室なんてやろうと思ったんだろうな。陰気くさいったらない」机の上に両手と尻の半分を預けた状態で、松永が訊いた。

 「たとえば」新堂は真面目くさった顔をして松永を見た。

 「松永が、誰にも言えない罪を犯してたとするだろ。そのせいで今もずっと心が晴れないでいるんだけど、その時は罪を犯さざるを得なかったし、それを抱えて生きていくしかないと思っているようなこと」

 「具体的には?」松永が要領を得ない顔で言った。

 「そうだな、奥さんに内緒でキャバクラに行ったこととか」

 「お前、そういうのは罪とは言わないんだよ。大人の付き合いってやつだ」

 「たとえば、だよ」新堂は笑って言った。「そういう罪を誰かに告白することで、心が軽くなったりすることってない? 犯した罪の事実は変わらないのに、それをもう一人で抱えなくて済むだけで、楽になるようなこと」

 「ある」いまだ合点のいかない顔をしている松永の代わりに、甲林が答えた。

 「でもさ、そういうのって歳を重ねるほどに言いづらくなる。変に自分で抱え込めるようになっちゃうってのもあるし、いい歳して罪の告白ってのもかっこ付かないし、何よりそこまで信用できる人が少なくなる。ある意味で賢くなったのかもね」

 「高二の時より、絶対いろいろ溜まってるよね、わたしたち。罪の内容も重そうだなあ」越智がおどけたふうに言った。

 「ね、私がさっき言ったこと忘れてない?」盛り上がる甲林と越智に、藤井が冷静に話しかける。「あなたたち、どこの誰だかわかってるクラスメイトに、それが言えるわけ? それも、この歳になるまで同窓会の一つもしなかったくらいのつながりだよ」

 そう言った藤井の言葉に、他の六人は押し黙ってしまった。他の生徒の声で、その重たい沈黙はうまい具合にかき消されていた。ざらりとした制服のスカートの裏地が、藤井のむき出しの腿をちくちくと刺している。からだは高校生なのに、制服は着慣れない。いったい、どこまでが高校二年生の自分たちで、どこからが四十歳の自分たちなのだろう。この夢は、どこまでがほんとうなのだろう。

 現実も夢も、どちらも等しく九月一日午前四時を迎えていた。あと数時間で希光学園の生徒たちの長いようで短い夏休みは終わり、二学期の始まりの合図としての始業式が行われる。二〇一六年の九月一日は、まだまだ引き伸ばされた夏の途中に位置していた。教室にはそれぞれ冷房が付き、秋はまだその足音すら立て始めていなかった。

 「前はこんなふうじゃなかった」と、いくらかつての高校生が感想を抱いても、それは現実にはわずかばかりも関係のないことだった。現在(いま)の高校生は現在(いま)の九月一日しか知らず、秋はもっと遅くにやって来るものだということだけが事実としてあった。そして、現在の四十歳たちはそれなりにの環境に適応していた。彼らが生きているのはもはや、かつての地球ではなかった。現在(いま)の地球に生きる者として彼らもまた、この年初めて迎える夏を生きていた。どれだけ長く生きても、誰も一秒先のことだってわかりはしない。

 そして、二年五組の最後の二人が眠りに就こうとしていた。

 そのうちの一人である野々宮(ののみや)静子(しずこ)は、経営するスナックの戸締まりをして、泥酔した客の男性をタクシーに乗せたところだった。彼女はいわゆるシングルマザーだった。生活のために、三年前に自分の店を持った。昼間は保険会社のコールセンターに勤めている。その仕事はもう数年もしたらロボットに取って代わられるだろう、と世間では言われていたが、新聞はもちろんテレビもろくに見ない彼女にそんな情報は届かなかった。彼女にとって株価や技術革新はどこか遠い世界の話であり、その両目にはただ日々の暮らしが映るのみだった。野々宮は希光学園の生徒の中でも浮いた存在だった。勉強らしい勉強はほとんどせず、いつも派手な服装をしては風紀担当の教師に呼び出されていた。校則で禁止されているアルバイトも堂々としていたし、社会人の男からもらったというブランド物をいつも身に着けていた。

 それでも、彼女は暴れたり教師に反抗したりというようなタイプではなかった。クラスメイトともそれなりに仲良くやっていたし、先生に叱られてもいつもニコニコと愛想を振りまいていた。生徒たちは無意識のうちに、自分が外せない羽目を彼女が代わりに外してくれているのだ、という爽快感さえ感じていた。そして彼女は体裁を守りたがった両親の希望に形だけ応えるようにボーダーフリーの短大を卒業し、そこからはごく当然の成り行きでシングルマザーになった。少なくとも、彼女にとってはごく当然の形で。裕福な両親からの援助を断ったおかげで生活は楽ではなかったが、忙しい今の毎日を彼女は楽しんでいたし、息子のことも愛していた。人生に後悔などなかった。野々宮静子という人間こそ、松永よりもさらに懺悔から遠い人物のように見えた。

 そして、もう一人の人物があの大谷俊哉だった。彼は八月三十一日の薬の服用を取りやめにし、眠らないままにこの夜をやり過ごしてしまおうとしていた。薬の中断は彼の思考を必要以上にクリアにした。すっかり尻が根付いてしまった府営住宅のかび臭い一室から、目慣れた深夜の街灯を眺めながら大谷は思考していた。彼の過去において間違いを犯したある一点を見定めるために。その一点さえ見極められれば、彼はこの延々と続く生の引き伸ばし状態から解放されるのだと信じていた。それが死の訪れであるのか、あるいは別の人生であるのか、彼にもわからなかった。けれど、それが今以外であるならなんでもいい、と大谷は思っていた。そして同時に、今以外の場所に行くなど恐ろしくてとてもできない、とも。

 そして残酷にも眠りは訪れた。眠れない夜に苦しむ彼のもとに、今日に限って安らかな眠りが訪れたのだ。

 一九九二年度 希光学園高校卒業生 二年五組
 同窓会終了まで、あと五時間。

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第10章(1)「誰かの懺悔を肩代わりすること」

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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