【長編小説】『夢のリユニオン』第10章(1)「誰かの懺悔を肩代わりすること」

星空

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 かたり、と木の実がひとつ落ちるような音がした。

 それは話を続けている者たちには聞こえないほどかすかな物音だったが、沈黙を続けている新堂たちの耳に届くには十分すぎる音量だった。

 まず新堂と越智が顔を上げた。そして相沢と松永が振り返った。皆が彼を見た。

 「シュンじゃねえか、お前おっせーよ」松永が嬉しそうに声を張り上げて大谷の首に腕を回した。

 けれど大谷はわずかに戸惑った様子を見せたあと、死んだ魚のような目をして一点を見つめた。その瞬間、その場にいた七人全員がもう大谷の困ったような笑い顔はどこか遠くへ消えてしまったのだと悟った。それはまるで、大谷の格好をした容れ物のようだった。ぱかっと腹を割くと、一回り小さな大谷の容れ物が出てきて、それがマトリョーシカのように延々と続きそうに思えた。松永たちとの思い出も、それからの人生に起こったことも、何もかもを大谷のからだは拒絶しているように見えた。それでも、彼の高校二年の肉体はなにかを求めているようにも見えた。

 「座りなよ。ちょうどよかった」越智は優しい顔をして大谷の席を作った。

 「今からね、文化祭しようとしてたのよ」
 こうしてかつての二年五組は顔を揃えた。

 その提案をした者の名を、松永は思い出せなかった。いや、クラスメイトのほとんどの名前を、松永は覚えていなかった。生まれて十七年で出会った人物の数よりも、それから二十四年間で出会った数のほうがずっと多かった。いくら一年間一緒にいたとはいえ、クラスメイトひとりひとりにそこまで思い入れはなかった。

 「匿名の投票制にしたらいいんじゃない?」その女は言った。

 「そんで、順番にそれを読み上げていくの。そしたら、誰が告白した罪かはわからないし。ここにいるみんなが神父ってことで」

 興味本位で賛成した者もいたし、渋る者もいた。けれど結局は、たかが夢の中のできごとなのだし、とその案が通ることになった。なにより、時間が迫っていた。早い者は、五時半に夢から退場してしまうのだ。

 投票にあたり、現実的ないくつかの取り決めがなされた。

 ひとつ、プライバシーを守るため、一人称は「私」を使うこと。

 ひとつ、内容に対するコメントはせず、ただ黙って聞くこと。ただし、告白をした本人だけは追加で懺悔の言葉を述べることができる。

 ひとつ、箱に入れられた告白の読み上げは、出席番号順に一人一枚ずつ行うこと。

 紙と筆記用具は、その教室にあったものを使用した。現在の高校生が勉強のために使っているものを、中身は四十歳の高校生たちが罪の告白のために使うというのも、奇妙といえば奇妙だった。けれど、完全に奇妙でない使われ方をする筆記用具とはどんなものなのだろう?

 「このシャーペン、縁起悪くなっちゃいそう」それぞれが紙に秘密を書きつけている時、越智がそう言って笑った。

 折りたたんだ紙がきっかり四十五枚入れられた箱が、教卓の上に静かに置かれた。自分の分の告白を早いうちに書き終えた者が、佐藤らの持ち帰ったダンボールを使って即席の投票箱を作り上げたのだ。四十五人分の罪を腹に収めたその箱は、その素材の軽さとは反対に、自身の罪の重みで今にも机の中へ沈み込んでしまいそうに見えた。

 出席番号一番の相沢が教卓に立った。

 「始める前に、みんなに言っておきたいことがある」相沢は、まるでフェルマーの最終定理でも目の前にしているみたいに、難しい顔をしてそう言った。教室は息苦しいほどにしんとしていた。それまでは、同じ場所を共有しつつもそれぞれがどこか別の場所に自分の世界を持っていた。それが今、完全に同じ空間の同じ時間の中この教室にぴたりと重なり合っていた。いわば、四十五人分の時空間がひとつになったのだ。それは光をも逃さないブラックホールのような重力をもって、彼らをそこに引きつけていた。

 「俺は、いつも割を食ってきた」相沢は滑稽とも言えるほど、きつく顔をしかめながら言った。

 「あ、い、ざ、わ。つまり、おれの苗字は必然的に出席番号一番にならざるを得なかったわけだ。このせいで、おれは何でもかんでも一番初めにやらされることになった。おれ自身の能力とは関係なしにな」

 「何が言いたい?」不穏な空気を敏感に察知したのか、髪を茶色に染めた綿野(わたの)が言った。

 「つまり」相沢がにやりと笑って、汗ばんだ手を握って綿野を指差した。「今日ぐらい、お前からやってもいいんじゃねえかってことだ」

 それから二人の押し問答があり、外野からの応戦もあり、結局は相沢が勝利を収めた。

 教室の空気が少し和やかになったところで綿野が教卓に立ち、いよいよ懺悔の儀式が始まろうとしていた。先ほどまでの重苦しい液状の空気は昇華され、まだ青い実をつけた、若く新鮮な空気が代わりに満ちた。相沢は狙ってこの状況をつくりだしたのだろうか。藤井は今のやり取りを心理学的側面から分析していた。

 「じゃ、引きます」綿野少年が、だぼついた制服のズボンをたくし上げながら一枚の紙を引いた。二十四年前と今で制服は変わらなくとも、その着こなし方には時代が反映されていた。彼は進学校にありがちな、節度をわきまえた可愛げの残る不良だった。やや茶味がかった、四つに折りたたまれた再生紙が綿野の手の中でさっさと無造作に開かれていく。場に再び緊張が走った。

 「私は、去年の人事評価の時に同僚の評価を意図的に下げ、彼の出世の邪魔をしました」綿野は淡々と紙に書かれた文字を読み上げた。

 「なにこれ。そんなの別にフツーじゃん」な、と目の前の人間に確認を求めるように、綿野は顔を上げた。彼もまた、それなりの大学を出て、それなりの会社で真面目に働くサラリーマンをしていた。

 「ちょっと、コメントはなしでしょ」越智が綿野をたしなめた。はいはい、と綿野が紙に顔を戻す。

 「私は焦っていました。担当しているプロジェクトで思うような結果が出せず、おまけに部下が得意先に失礼なことをして、会社に損害を出してしまっていたからです。それがすべて私の責任になりました。これまではそんなことはなかった。自分のことを自分の責任で行っている限り、私は高い評価を得られていたからです。それが、管理職になって能なしの部下を抱えるようになってから、何もかもが上手くいかなくなりました。一方で、私とは逆の道を辿る者もいました。自分では何一つ満足にできないくせに、優秀な部下に恵まれて成功を収める者。世の中の不公平を、私は知りました。正当な評価などどこにもない、と。そして、支社内評価の時、私は彼の足をほんの少し引っ張ろうと思ったのです。目論見は成功し、彼は現状の役職に留まるのみになりました。けれど、私の気持ちはまったく晴れませんでした。むしろ、後味の悪い気分が延々と続くのです。悪いことをしたと、今では反省しています。すみませんでした」

 ただ機械的に読み上げられる文章は、その内容だけがかえってくっきりと浮き彫りになって迫ってくる感覚があった。

 「こいつ、管理職の素質ねえな」けらけらと乾いた笑いを残して、綿野は自分の席に戻っていった。

 「これがあと四十四回続くって、結構きつくない?」甲林が溜め込んでいた息をふうっと吐くようにつぶやいた。

 「おれ、やっぱり一番最初がよかったかも」相沢が甲林の斜め後ろで机に突っ伏した。

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第10章(2)「誰かの懺悔を肩代わりすること」

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