【長編小説】『夢のリユニオン』第12章(1)「学年2トップの分かれ道と交差点」

星空

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【長編小説】『夢のリユニオン』概要・目次

 「窓、開けようぜ。空気が悪いんだよ、きっと」相沢がさっと席を立ち、机の合間を縫って窓側まで歩いて行こうとした。彼は廊下側から数えて二番目の席に座っていたから、相沢の声を聞いて先に立ち上がった数人のほうが先に窓のサッシに手をかけることになった。

 「わ、見てよ。窓の外」ショートカットが窓の方を向いたまま言った。「すっごくきれい。いつの間にこんなに灯っていたんだろうね」

 窓の外は、相変わらず無慈悲なほどの闇に包まれていた。八月の午前五時ならそろそろ空が白み始めてもおかしくはなかったが、そこにはいまだ例のクジラの胃袋的な闇が広がっていた。しかし、それは同窓会開始時のそれとはいくぶん違っていた。いや、ほとんどまったく違っていた。

 闇の中には、点々と淡白い光が灯っていた。それは街あかりのようでも、花火のようでも、もちろん胃袋探検のための懐中電灯のようでもなかった。人工的な営みが作り出すあらゆる光とは一線を画する、いわば浮遊する魂のような光り方をしているのだ。無論、その場にいた四十名強のうちで実際に魂を目にしたことのある者は皆無だった。しかし今ここもまた、夢の中なのであった。

 「あっちの方、俺ん家だ。もう十年は帰ってないわ」海外駐在でベトナムに勤務しているという男子生徒が言った。

 「なんで気が付かなかったんだろ。わたしずっと窓側に座ってたのに」

 「僕、記者やってるけど、こういうのが一番記事にしづらいよ」

 「小学生の時の教科書にさ、こんな本なかった? ほら、『モチモチの木』だっけ?」

 「あ、それ覚えてる。おじいさんと暮らしてる男の子の話でしょ」

 皆が窓の方へ顔を向けたまま、呟くように言葉を交わした。強張った顔の筋肉をゆっくりと緩めるように。四十歳の自分と、十七歳の自分をせわしなく行き来しながら、火照った夏のからだをゆらゆらと水に漂わせるように。その中でただ一人、大谷だけは複雑な思いを感じていた。自分だけが気付いていたその光の群れが今や白日の下にさらされ、なんとなく居心地の悪い気分を抱えていた。しかし同時に、彼は自らの確信を強めることになった。ほら、と。結局のところ、何もかも奪われていくんだ、と。

 開かれた窓から、心地の良い風が吹き込んできた。太陽もなく、月もないこの世界に吹いた風を、ある者は驚きをもって受け止め、ある者はその涼やかさに浸り、ある者はただ吹かれるままに身を任せていた。風は皆に同じように吹き、違った足跡を残していった。早くも秋のにおいを含んだ、ほんのりと冷たい風だった。

 「続けようか」新堂が席に座り、窓の方へからだを向けたまま言った。「時間もないことだし」

 次の順番は、越智だった。新堂の隣に座る彼女は、窓の方を向く彼の背中を見て立ち上がった。この人は、まだわたしを好きでいてくれているのだろうか。越智はかつての恋人の背中を見つめた。わたしのことを嫌いになってしまったんじゃないだろうか。そんなことを考えながら、越智はまだ読み上げられていない自分の懺悔の紙のことを思った。新堂の背中からは、何も読み取ることができなかった。

 「なあ、何のためにこんなことやってんだよ。こんなの、誰の得にもならない」教卓を挟んで新堂と対称の位置あたりにいる人物が、立ち上がった。長く沈黙を強いられていたその声は、最初の呼びかけ部分がかすれていた。教室中の視線がその声の主である原田の坊主頭へ向けられる。教室で声をあげるというのはひどく勇気がいることだ、とそれを見ていた大谷は思った。大谷の順番は越智の次に迫っていた。彼は、原田が勢いに任せてこの懺悔の儀式をぶち壊してくれればいいのに、と願った。そうしたら、ぼくの懺悔もなかったことにできる。どうしてあんなことを書いたのか、大谷は今では後悔していた。

 「もうやめようぜ、こんなの。わざわざ思い出す必要もない自分の罪とやらを絞り出してさ、それを晒して傷つくだけなんて。俺たちはもう四十歳なんだよ。いつまでも純真無垢なお子様じゃ、何も守れないんだよ。大人になるってのは、そういうことだ。罪を重ねて、それでも生きていくってことだ。それは懺悔したからってなくなるわけじゃない。こんな高校生の文化祭のやり直しみたいなことで、自分の人生がクリーンになるなんて、みんなも信じてるわけじゃないだろ」

 そう言って息を切らす原田の目には、怯えが走っていた。確信を持って主張した言葉も、四十人の視線にさらされると、途端に服を剥がれたことを自覚した王様のようにあたふたとあたりを駆けまわる。それでも、その言葉を発した原田自身は、一度吐いた言葉を撤回する気はなさそうだった。

 「せっかくみんな集まったんだからさ、もっと楽しいこととか話せばいいじゃん。なんでよりによってこんな」
 「でもさ、それって不公平じゃない?」わずかに棘を含んだ藤井のその言葉は、結果的には言葉に窮する原田を助けた形になった。

 「不公平って?」原田は藤井に応える形で少し後ろに視線をずらして言った。その目には、わずかな怯えと期待の色が浮かんでいた。高校生のころからあまり感情を表に出さなかった藤井は、新堂たち七人以外にはやや近寄りがたい人物として認識されていた。原田の方を見つめる藤井の目線の途中に、大谷がいた。彼女は大谷の今の様子を目にして、もはやかつての彼がすっかり失われてしまった事実を感じていた。それを胸の端で寂しく思うのと同時に、いつも余裕とも取れる柔和な表情を浮かべて、否の打ちどころのない優等生だったあのころの大谷よりも今の大谷を好ましく思った。

 「まだ懺悔を発表されてない人がいるじゃない、ってこと。出席番号で残っているのがあと四人でしょう。四人分、発表されてないのよ。実を言うと、そこには私の分も含まれている。私としては全然公開されなくて構わないんだけど、それじゃ今まで自分の胸の内を書いたみんなから文句が出ないかしらって心配してるの。あなたの分がもう出たのかどうかは知らないけれど」

 「それは逆だよ、藤井ちゃん」藤井の前で、甲林が振り向いた。藤井の目に映る彼女の目は聖母のように優しいそれをしており、藤井は自分の心に陽光が射したような錯覚を覚えた。これが母になるということなのだろうか、と結婚とも子どもとも無縁の生活をしている藤井は思った。

 「リン、どういうこと?」

 「このまま終わっちゃったら、藤井ちゃんたちのほうが割を食うってこと。これ、書いたことは読まれたほうがいいよ、きっと。みんなに聞いてもらったほうがいい。たぶん藤井ちゃんにももうすぐわかる。だから、ここでやめちゃだめだよ。ね、原田くんもそう思わない?」甲林は、会話に取り残されてひとりぽつんと立ち尽くしている原田に向かって言った。

 「お、おう。ま、あと四人くらいなら」原田は反論の余地をなくし、風船の空気がだんだんとしぼむように着座した。

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第12章(2)「学年2トップの分かれ道と交差点」

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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