(A5’-3)ここにしかできないことなんて【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

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【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次

 「凜花ちゃん、久しぶりね。半年ぶりくらい? 私も最近はあんまり顔出せてないものね」凜花が幼い頃からよくしてくれている室田は、凜花にとって伯母さんのような存在だ。九石の三姉妹よりも、凜花は室田のほうへよりなついていた。

 「室田さん、こんばんは。お運びいただいてありがとうございます」今は会社の出資者であり、アドバイザーである室田に凜花が恭しく挨拶をする。

 「凜花ちゃんもすっかり大人ね。小さい頃からしっかりしてはいたけれど。でも私にはそんな挨拶やめてね。なんだか距離を感じちゃう」

 そうですか、と凜花が相好を崩し、黒字に金の花柄が描かれた紙袋を室田に差し出す。

 「これ。今日の研修、丸太橋駅だったんですよ。ガトーショコラが有名なお店が近くにあって、室田さんチョコレート好きでしょ? よかったら旦那さんとどうぞ。もう一本買ったので、食後に三人で食べましょ」屈託のない笑顔が室田に向けられる。

 「凜花ちゃん、いま実は旦那と別居してるのよ。近々離婚する予定」でもありがと、と爽やかに笑いながら室田が紙袋を受け取る。

 橙子の方に向けかけた凜花の足が止まり、「ごめんなさい」と小さく謝る声が聞こえる。この時、凜花はすでに倍以上も歳の離れた町田との付き合いを始めていたが、そんなことを室田はもちろん、橙子でさえ知る由もなかった。

 「結婚って難しいわね。でも、本当に好きな人と結婚できるのは素敵なことよ。年収とか子どもとかそんなの関係なしに、二人だけで完結しちゃうような世界を持てる人と。凜花ちゃんもいい人に出会ってね」まだ何も知らない室田は、例のこざっぱりした顔で凜花を席に促した。

 料理を温めなおし、三人で改めて乾杯をした。

 「凜花ちゃんがお酒を飲める歳になるとはね。そりゃ私たちも歳取るわけよね」と室田が凜花を上から下まで愛おしそうに眺めた。

 「だってもう二十一? 来年の三月で二十二でしょう。その歳だと橙子は孝太郎と婚約していたわよね。凜花ちゃん知ってる? この人たち、学生結婚するかもしれなかったのよ。橙子のお父さん、凜花ちゃんのおじいちゃんがそれは止めたんだけどね。大恋愛よ」室田が得意気に言った。

 「ちょっと室田さん」橙子は思わぬ暴露に室田を制する。

 「今じゃ影も形もないけど」凜花がわざと冷めた声を出しておどけてみせた。

 「凜花ちゃん、卒業したらどうするの? 就活とかしてる?」

 「いくつか内定はもらったんですが、まだちょっと迷ってます」凜花の就活事情を、橙子は初めて耳にした。途端、凜花があと半年で会社を離れてしまうのだという事実が脳内に鐘のように鳴り響く。

 「それよりも」橙子はとっさに話題の転換を試みた。

 「凜花、研修はどうだった? うちで請けられそう?」

 「おお、仕事の話しちゃうのお?」室田が大げさに眉をしかめてみせる。

 「ちょっと室田さんにもアドバイスいただきたくて」橙子は真面目な表情を崩さずに言った。

 「まあまあってとこ。でも、あえてうちでやる必要はないかもね」凜花がチーズを口に放り込んだ。

 凜花の経営手腕には目を瞠るものがあった。これまで特に経営学を学んだこともないはずなのに、彼女は素でそのやり方を知っているようだった。おかげでこの一年半、橙子はかなり助けられてきたのだ。

 「何の研修だったの? ちょっと最近のOneselfのこと、キャッチアップさせてくれない?」室田が凜花にワインを注ぎながら言った。

 「今日の研修は、料理教室のフランチャイズの説明会みたいな感じです。うちの料理教室、ちょっと最近かんばしくなくて。人もあまり集まらないんです。それで、大手のフランチャイズを検討しようかって話になって、話を聞きに行ったんです」

 「またどうして? 大手にはできない、家庭的で温かい雰囲気が売りだったのに」

 「そうなんですけど」今度は橙子がその後を継ぐ。

 「だんだんだれてきちゃうんですよね。メンバーが仲良くなると、新しい人も入りにくいし、今のメンバーはビジネス仲間が多いので、仕事でキャンセルも多くて。料理教室って言っても、私が料理をする交流会みたくなっちゃって。収益も上がらないし、なんだかブレてきてしまって」

 「でも大手はさすがだって思いましたよ」と凜花が再度口を開く。

 「だって私がお客さんなら、あっちに行きたいもん。彼氏に受けそうな料理とか、節約ご飯とか、残業後のヘルシーごはんとか、コンセプトもしっかりしてるし。サイトとかもあって、始めやすい感じ。いつでもやめられる感じも、さっぱりしていていい。うちの特色みたいなのは薄れちゃうかもしれないけど、あそこのブランド使えるなら収益性はあると思う。たださっきも言ったように、うちがやる必要はないかもしれない。でも、うちがやる必要のあることって、じゃあなに? そこまでしてやることを明確にできるほど、うちの会社ってちゃんと固まってるわけ?」凜花は明らかに苛立っていた。

 「考えてもみてよ。マンションの一室にある事務所で料理教室とか、健康セミナーとか、怪しい匂いしかしないじゃん。だから大手にかなわないんだよ。交流会で会った人たちに半分お情けみたいに来てもらって、そのお礼にあたしたちはその人たちのセミナー行って。そんな繰り返しって意味あるの?」酔いの回った凜花は、饒舌になっていた。

 「だから、今回のフランチャイズは大手と取引できるチャンスなんじゃない」橙子の語気は強まっていた。凜花の言ったことが図星で、腹が立っていることは自覚していた。じゃあどうしろって言うのよ。

 「代表さんにそう言われて行きましたけどね、こんな上手い仕組みならあたしひとりでも大手のコピーお教室をせっせと運営できるって自信がついたわよ。女性の自分らしさ? 笑わせないで。そんな漠然とした理念で、こんなしょぼくれた会社に何ができるって言うの。あたしね、今日向こうのスタッフの人に言われたのよ。マンションの一室なら、家庭的な雰囲気があっていいですねって。でも、ブランドの安心感がないと入りづらいですよねって。バカにして、バカにして、バカにして」凜花は泣いていた。それは、つい先日橙子が味わった屈辱に似ていた。

 「ごめんね、凜花」橙子は凜花の背中を撫ぜながら言った。

 「私、外そうか」室田が財布を片手に席を立とうとする。

 「いえ、室田さんにも聞いてもらいたくて。実は」と橙子は切り出す。

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(A5’-4)明けたかと思う夜長の月明かり

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