【長編小説】『空色806』第6章(5)「暫定的役割としての王と小さな城」(王四十七歳 朔二十七歳)

空色806

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【長編小説】『空色806』概要・目次(作:陽月深尋)

 「さて、随分と長話をしてしまった。君と話していると、なぜか昔の自分が思い出される。あの頃からいろいろなことが変わったような気もするし、何も変わっていないようにも思える」と言いながら王は、また例のごとく目を細める。

 「下に降りて昼食にしよう。ルカが地上から持ってきたタブレットは本当に便利だ。おかげで、ヨーテは食事の度に長い階段を登ってこなくても良くなった。同時にこいつのおかげで、二人ともちっとばかし腹回りが大きくなった」

 そう言うと王は、机の上にいそいそとよじ登った。その姿は、まだ車を運転させてもらえない幼子が、クリスマスに買ってもらったおもちゃの車に乗り込む姿に似ていた。五秒ほどそんなことをぼんやりと考えていた瞬間、その体がしゅっとタブレットの中に吸い込まれてしまった。音もなく、しゅっと。

 人は本当に驚いた時も、何も言葉を発することができなくなる。

 「あれは2200年の地上にたまたま飛べた時に、そこから持って来たものです」背後からの声に、はっと振り返る。

 「我々鳥一族は、基本的には現在の地上と交易をします。しかし時折、いやわりと頻繁に起こってしまうのですが、意図せず過去や未来に紛れ込むこともあるのです。すぐに帰って来れば戻れなくなることはないのですが、転んでタダで起きるもの惜しいので、少しばかりその時代のものを失敬してくることもあるのです。意図して地上の不特定時空間との扉を繋げるためのエネルギーポイントと呼ばれるものとは、また全く別のものですが」

 いつの間にか、ルカが扉を開けてこちらを見ていた。

 「王様たちは大層喜んでおられますが、浮遊する感覚を自分でコントロールできなくなるあの移動方法を、わたくしはあまり好みません。もっとも、その代わりに我々は飛べるのかもしれませんが」

 「わたしも階段を使って降りていいかしら」

 先ほどスズたちがクッキーを焼いていたキッチンには、今はもっとたくさんの人々がいた。

 人々。

 そう言ってしまって良いのかが、朔にはわからなかった。

 卵のような容貌をしたヨーテ(彼女は本当に「たまごさん」と呼ばれていた!)は、まだまだ序の口だった。ボケ老人、と王に酷評されていた教育係のリセはやけに手足が長く、右目の部分に大きく分厚いコンタクトレンズのようなものをはめ込んでいる。

 「あ」

 朔はリセを見て声を上げた。

 「あなたは、キ……」

 朔が言うより先に、ルカが彼女を制した。その目には、有無を言わせぬ決意の塊のような光が宿っており、朔は口をつぐまざるを得なかった。
 「ああ、早く昼食を済ませ、静かな自室へ戻りたい」

 リセはそれだけつぶやいて、あとは黙ってしまった。

 それからは、そこにいた者たちが朔のために簡単な自己紹介を始めた。

 財政係のニーマは、もともとの性格なのか、ある時からそのようになってしまったのか、毛むくじゃらの筋肉質な体に似合わず、奇妙に不自然な微笑みを浮かべていた。

 「午後もまた数え直しだ。きっと君は、僕を手伝いに来てくれたのだね! そうなのだね! ありがとう、恩に着る。これで僕はもう何もしなくてよくなる」

 ルカは承知しているだろうと言わんばかりにほんの少しだけ首をもたげ自己紹介をスキップする。おかげで隣に座るルルは突然自分の番が早回しで回ってきたことに狼狽し、切り分けている最中のチーズをそのままにして、僕は五千の色を持っている、とだけ告げた。

 それぞれがそのように一言ずつ朔に自己紹介をし、また自分の食事に戻っていった。新しい仕事仲間が増えること、そしてその人物が地上から来た人物であることは、彼らの興味をあまりそそるものではなかったようだ。ソメイとヨシノという男女の幼い双子はそのままにっこりと笑っただけだったが、彼らは口がきけないのだ、とスズが耳打ちしてくれた。

 「いやあ、済まない。ついいつもの癖で、タブレットを経由して降りてしまった。地上から来た君なら、使い方を知っているかと思って。一度分子レベルまで分解されて、すぐさま再構成されるあの感覚が結構病みつきになってしまって」と王は恥ずかしそうに頭をかく。

 鳥一族によって、様々な時代の地上のものが持ち込まれるトラリアは、テクノロジーの発達過程がめちゃくちゃに入り交じっている。

 ふとレベッカを見ると、彼女の肌が薄緑色に変色しているのが見えた。

 「具合が悪いの? 大丈夫?」

 そう心配する朔に、レベッカとスズは顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。春の綿ぼうしが互いに小突きあってその種子を飛ばすように。

 「あたしの体は、食べたものの色に変わるの。ほら今、キャベツのポタージュ飲んでいるから。ブルーベリーのパイなんか食べた時は、ひどいのよ」

 頭の中でレベッカが濃い紫色人間に変わっている姿を想像し、朔は食事の前にすっかりくたびれてしまったように感じた。もう、考えるのはよそう。

 今日の昼食は、キャベツのポタージュとサンドイッチ。サンドイッチは、ふんわりとした白いハイジパン、気泡のしっかり入ったぱりぱりのフランスパン、もっちりとした薄皮のトルティーヤなどで、好きな具材を挟んで各自で作るスタイルだった。童話でしか見たことのないような穴の空いたチーズや(どういう仕組みで穴が空くのだろう)、大きな塊のハム、城の中の畑で作っているというトマトやレタス、卵サラダやツナ、フルーツやホイップクリームまで用意されていた。色とりどりの新鮮な素材が机いっぱいに並ぶ中で、城の者たちが、王族や使用人関係なくみな、同じ目線で同じ皿から同じ料理を取り分けて食事をしているというのは、本で読んだ王家の食事風景とは全く様子が異なっていた。先ほどのスコーンがまだ胃に残ってはいたものの、みなの食べっぷりを見ていると俄然食欲が湧いてきた気がした。

 「はい、どーぞ」

 隣を見ると、ひまわりのような明るい顔をしたスズがサンドイッチを作って差し出してくれている。具材はどうやらオールスターだ。

 「ありがとう」

 朔は、ホイップクリームの間からハムが覗いているサンドイッチを素直にありがたく受け取る。

 「スズは早速サクに懐いているようだな。午後は本棚の整理整頓を一緒にやるといい」王が五つ目のサンドイッチを頬張りながらスズとサクを交互に見て微笑む。

 「だめ! 午後はヨーテとやることがあるの。サクも一緒にやっていいよ」

 そう言って、スズは姉のほうをちらりと見やる。その斜向かいでレベッカは、フランスパンを薄く切り分けて、誰よりも高いサンドイッチを作ることに夢中になっている。

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第6章(6)「暫定的役割としての王と小さな城」(王四十七歳 朔二十七歳)

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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