筆者プロフィール

名前 ちひろ、田中千尋
生年月日 1990年6月17日
出身 大阪府
行ったことのある国 スウェーデン、フィンランド、デンマーク、イギリス、イタリア、フランス、ドイツ、リトアニア、イタリア、カナダ、タイ、台湾、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランド
行ってみたい国、都道府県 自然の多いところ、食べ物の美味しいところ、暖かいところ
こんな人間 マイペース(すごく速かったり遅かったり)、頑固、物欲がない、物が多いのが苦手、家事フリーク、三度の飯も本も好き
運営サイト 物書きにできることを考えるブログ(個人ブログ)※当サイト
腸内フローラ移植、便移植専門|FMTクリニック(シンバイオシス研究所)※仕事用
連絡先 お問合せフォーム

今を生きる誰かの心に、ぽっと小さなあかりを灯せる物書きを目指しています。つらい時、勇気がほしい時、ちょっと立ち止まりたい時。独りごとのように綴る物語が、あなたのこころをあたためられたら、それがわたしの生きる意味だと思っています。

↓以下長文のため、ご興味のある方だけどうぞ↓

好き

明日することが誰にも何にも決められていない自由
静かなところで深呼吸をすること
家にあるものがすべて自分の把握できる範囲であること
家事がきちんとできている状態(洗濯が大好き)
本読み、物書き、村上春樹さん
すいか、トマト、ナッツ、ソフトクリーム

苦手

人ごみ、うるさいところ
運動(特にチームプレイ)
価値観を押し付けられること
変な決まりごと
肉の脂身、揚げ物、味の濃いもの

こんな人間(いろいろな側面)

コーヒー片手にいつも静かに考えごとをしている。
答えのない問いに対して色んな立場からものを見て、やっぱり答えを出さないのが好き。

静かで集中できる環境さえあれば、クリエイティブ系に限るがわりと仕事のデキる人。
仕事では、目的や計画、効率がとても大切。情熱はスパイス程度。

プライベートでは、まわりくどいことのほうが好き。
表面だけではなく、皮をむいてむいて、中に何があるか確かめたい。

ひとまずこれまでの人生

幼少期

調子に乗りまくっていた頃。
寝ながら食べるほどの食いしんぼう。あだ名は「朝潮」(当時の横綱)。
非常に負けず嫌い、頑固なところがあり、何でも一番じゃないと気が済まない子だったそうです。たびたび癇癪を起こしていたようですが、自分に対して否定的な気持ちを感じたことはほぼなかったです。今思えば、親の教育が良かったんだなぁ。
「すごい」と言われるのが好きで、そのための努力は惜しみませんでした。

アトピー性皮膚炎がひどく、常に包帯を巻いていました。これが原因でいじめられた思い出があります。ただ、主に食品添加物や農薬に反応するタイプだったので、母が「正直でいい体だね」と育ててくれたこともあり、特に劣等感も感じることなく、痒くて痛くて不便だなぁと思っていたくらい。たまに食べるジャンクフードが好物でした。
小学生の頃から外ヅラだけいい八方美人になりました。夢は漫才師。

中学生

小学生の頃に通い詰めた塾の反動で、勉強が大嫌いに。クラスの下から二番目をキープ。中高一貫教育の女子校です。
馬鹿なことをして周囲を笑わせるのが生きがいでした。この時代のプリクラが流出したら、お嫁に行けない自信があります。

高校生

「クラスで10番以内に入ったら嵐のファンクラブ入っていいよ」の母の言葉をきっかけに、勉強に目覚める。
やればやるほど成果がついてくる快感、正解のある安心感、そしてその先にある約束された未来(いい大学)。努力は必ず報われると信じていました。
この頃に漫才師の夢を諦めましたが、いじられキャラはおいしいポジションだったので、日々ネタを磨きながら受験勉強に励みました。

大学生(1〜2年)

夢の神戸大学に入学。
自由、広い世界、素敵な先輩。
毎日バラ色でした。
特定のグループや部活には所属せず、自分の好きな時に好きなことをしていました。
この時わたしの頭にあったのは、「人よりもすごいことをしていなくちゃ」。
優越感=自己肯定感でした。何もない自分は嫌いでしたから。
長女だったこともあり、初めてできた「先輩」に甘えまくる日々でした。

留学

3年の時に、スウェーデンへ留学。
花の留学生活が待っているかと思いきや、人生最大の壁にぶつかりました。

まず、食べ物が合わず、お腹を下し続ける。アトピー再発。今でも肉は苦手です。
そして、ハイレベルな授業と、価値観の違い。
「頑張ること」が絶対的な価値だとされていたのは、日本だけでした。

できないことへの恐怖と、今まで信じてきたものが崩壊し、さらに体調も崩し、うつ状態に。留学を楽しめていない自分が許せなくて、ほんとにきつかったです。

食べ物が合わないことも手伝い、激やせ。食べることが怖くなったりもしました(今はむしろぽっちゃり)。あだ名は「鶏ガラ」。一緒に留学した日本の子たちは、今でも上辺なく付き合える大切な人たちです。
この時、英語を全く話せない妹が一ヶ月遊びに来てくれて、生涯の心の友になりました。妹だいすき。

母の会社を手伝う

帰国後、なんとか自己存在意義を見出したくて、母の経営する小さな会社を手伝い始めます。
卒業後も含めて約二年半、ここでいろいろ勉強させてもらいました。不安定なわたしにやることを与えてくれて、ありがたかったなと思います。

文章を書くことをライフワークにしたいと思ったのも、この頃です。
いい大学出ても、いい人生なんて待ってないじゃないか、うそつき。と、社会に対して思っていた気がします。

市役所に入庁

自分にとって大切な読書、そして書くことを守るために、「平日は安定した大きな組織で働きたい」と思うようになります。ビジネスの「カネ第一主義」みたいなものにかなり疲れていたので、行政を選びました。
やる気満々で意気揚々と働き始めたのですが、ここでも「完璧主義」「優等生」という枠に縛られ、息がつまり、勝手に自分を追い込んで早くも6月にダウン。

生まれて初めて心療内科に行きました。適応障害。
その時の配属先がとても良い人たちばかりで、一度は退職を決めたものの何とか戻してもらえました。
ただ、マイペースだったり、過度に集中したり、ひとつの刺激に対して多くの情報を受け取りすぎてしまう自分にとって、「決められた場所で決められた時に決められたことをする」というのが苦痛で仕方なかったです。納得のいかないことをするのにも、いちいち疑問を持ちそうになる自分を必死でこらえました。

そして12月。自律神経をこじらせ体調がおかしくなり、二度目の休職。
この時に「3月でやめよう」と決めました。
初めて働く大きな組織がここでよかったなと思います。こぢんまりした部署でしたが、とにかく人がよかった。年明けた頃くらいにはほぼ完全に打ち解けました。人との距離感が上手く測れないので、時間がかかるのです。
優秀で優しい上司にたくさんのことを教えてもらい、やめるにも関わらず大好きになってしまい、3月は何度泣いたかわかりません。

2016年4月〜

25歳、ニートです。
もう好きなことだけで生きます。
明日のこともわからないけれど、とにかく今ハッピーです。
人間、過去とか未来とかあれこれ考えるから悩むんですね。

2017年8月〜

就職しました。
フレックスで一人作業が多いので、比較的自分のペースで仕事ができています。
うつ状態を治してくれた場所で、医療関係の仕事をしています。
仕事では、こちらのブログを運営しています。
腸内フローラ移植、便移植専門|シンバイオシス研究所

生きがい

何のために生きるの?

これはずっと自分に問い続けている言葉です。
目標を失い、挫折を味わい、嫌われることを恐れ、生き続けることが苦痛で仕方なかった日々。
本当にどん底で、自分には何の価値もない、むしろ存在することで家族をはじめ社会のマイナスになるんじゃないかと思っていた頃がありました。
今すぐ死ななくちゃ、世界の迷惑になる。なのに、死ぬ勇気が出ない。
そんな臆病な自分に対して嫌悪感を拭えない日が続きました。

大切な誰かのために生きる

他人のために生きるというのは、一見高尚な生きがいに見えて、実は厄介なシロモノだと思っています。
「誰かのため」に必死で役に立とうともがき、上手くいかずに荒れ、迷惑をかけ、その埋め合わせをするために頑張っても全然うまくいかない。
その背景には「必要とされたい、愛されたい」という他人任せな生き方がありました。わたしは結局のところ、自覚のない自己中心的な生き方を誰かに押し付けていました。

自分のために生きる

けれど、自分の不平不満につながる一切のことをやめ、「これがしたい」と自分が思うことだけをするようにして、徐々に生き方が変わってきました。
言い訳が減り、人に優しくできるようになり、自分の人生に責任を持てるようになりました。
だって自分の好きなように生きているのですから、自分以外に不満をいう相手はいません。全て自己責任です。

いったん死んだものとする

とはいえ、今まで苦労して手に入れてきたものに別れを告げ、何の社交辞令もなしに好きなことをするのには相当な覚悟がいります。
これには、「死にたい」という強烈な気持ちが大きく貢献してくれました。
生きることやめる前に、やめられることはたくさんありました。
ブログ記事「いま死にたい人へ」もご覧ください

結局何のために生きるのか

今も何のために生きるべきか、わかっていません。
以前、大好きな作家の村上春樹さんが期間限定サイト「村上さんのところ」でこんなことをおっしゃっていました。

僕は基本的に、人生とはただの容れ物だと思っています。空っぽのかばんみたいなものです。そこに何を入れていくか(何を入れていかないか)はあくまで本人次第です。だから「容れ物とは何か?」みたいなことを考え込むよりは、「そこに何を入れるか?」ということを考えていった方がいいと思います

この方のこういう考え方、大好きです。この言葉にとても救われました。

「こころあたため専門」の物書きに

とはいっても、やはり「意味」がほしいのも事実です。これは長年で染み付いた考え方のクセみたいなものかもしれません。
なのでわたしは、「こころあたため専門」の物書きになることに決めました。
つらい時、勇気がほしい時、ちょっと立ち止まりたい時。独りごとのように綴る物語が、あなたのこころをあたためられたら、それがわたしの生きる意味だと思っています。

2019.1.12更新