おとなで、こども。『王国』よしもとばなな

NO IMAGE

※本記事は引用を含みます

こんな世界が同じ地球上にあるのだ。

こんな風に考える人が、ちゃんといるのだ。

世界はひとつにみえて、ひとつじゃなかった。

色々な価値観やものとの関わり方、愛し方がある。

それらが時に混ざり合って、時に分離しあって、時には触れ合うこともなく。

世界を形づくっている。

答えはない、それでも。
素直な人々は自らの心地良い空間に身を投じる。

運が良ければ、この混沌とした世界でそんな人たちが生きていけるように支えてくれる「強い人」が現れる。

その人は現実社会では強く、実はとことん弱くて優しい人だったりする。

きれいなことばっかりじゃない。ここは。ほんとうに。
いろいろなものがぐちゃぐちゃとしているから、全部に当てはまる真理が存在しない世界。

その中で万人に共通する正解を探すことは、無に等しい。

あなたはあなたの世界でしか生きられない。

—————————-

今回の作品を読んで、こんなふうに感じた。

主人公でもない、登場人物でもない、この作品全体が語りかけてくる、不思議な空気感があった。
それでいいんだよ、と。
そりゃまぁしんどいことだらけだろうけどさ、素敵だよ、君。
ほら、いいこともあったじゃない。
それ、嬉し涙でしょ。

せっかくここにいま生きてるんだからさ、素直に感じて、息をして、愛して。
それでどうにかなるってわけじゃないだろうけど、そうすることしかできないんでしょ。
いいよ、わたしがゆるしてあげる。

『王国/よしもとばなな』は、3巻で構成されている。

山の中でおばあちゃんと暮らしていた女の子が、突然山を降りることになって、都会で生きていくお話。

都会には、息苦しいものや元気のない人や死んだ植物たちがたくさんいて、
そうかと思えばとても魅力的に見える便利なもの、甘えたくなるような誘惑も満ちている。

彼女は自らの芯を強く持っている反面、知らない世界への興味関心にとことん素直になって、時に流される。

そんな都会にも、ある種の人たちはいた。
彼女の居場所。

へんてこりんな関係が、いっそう絆を深くする。

愛することと、守られようと願う甘えの間にある違いは何なのだろう。

大人だけれど、子ども。
大人って何なのだろう。

どこまでも真剣に、世界に向き合う人たちの、ものがたり。

この話には、続きがある。
彼女の子どもを主人公にした、4巻目だ。

アナザーワールド。
もう一つの世界。

最初の3巻までに出てきた、強烈な個性を持った人たちは、その後どうなったのだろう?
あんなにも自分に素直に、ある意味で身勝手に生きた人たちが、この世界で生き続けることができたのか?

この4巻目は、そんな読者の疑問に、よしもとばななさんがくれた贈り物だと思う。

この贈り物の中で、わたしの胸がきゅうと熱くなったところがあった。

主人公が、大切な人からかけてもらう言葉。

「いろんな価値観の人がいるからなあ。それはいいんだよ、戦うことはない。自分の世界を壊そうとしないかぎりは。でも、今回はちょっと壊れそうだったんだろう? そうしたら、ゆずれないことがなんだかわかってきただろう?」

そうだったのか。
そうだったのだ、と肩から力が抜けた言葉だった。

私は、そう遠くない過去に本当に壊れそうになったことがある。
すべては自分の弱さ、傲慢さからぶち当たった壁で、身から出た錆なのだと言い聞かせていた。

これから私は、何かを償いながら生きていかねばならないのだ、と。

許された気がした。

あれは、自分に本当に大切な何かを見つけ出すための「鍵」みたいなものだったのかもしれない、と。
そうして、本当に大切でゆずれないものを見つけた今、もう得体の知れない何かに怯えて、なにもかもを守る必要はなくなったのだ。

人は変わる。
自分も変わる。
それでも。
それでもこういう「核」のようなものって、そう変わらないと思うのだ。

今の自分に出逢えてよかった。こんにちは。

そして、もうひとつ、心に残っている言葉がある。

「私、いないほうがよかったの?」
そう問いかける主人公に対して、父親が言う言葉。

「そんなわけないだろう。君のいない人生なんて、もうないほうがましだ。考えられないよ。俺たちはみんな、君が生きてるだけで、呼吸しているだけで、もうなんでもかんでもかまわないくらいなんだから。」

なんだこれは。こんなことがありえるのか。
これが、親の愛というものなのだろうか。

私にはまだ理解できない。

けれど、胸の中の何かがほろりと溶ける気がした。
私は何に許されたいのだろう。

よくわからないけれど、もう少し、よしもとばななさんの本を読めば、わかるかもしれないな。