これが書けたので、小説家になってよかったと思いました『デッドエンドの思い出/よしもとばなな』

「これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです。これが書けたので、小説家になってよかったと思いました」
著者自身がそう語る、5つの短編ラブストーリー。

ラブストーリーって苦手なのだけれど、この人の作品で描かれる愛は、重苦しい愛でもなく、かと言って軽々しい若者のノリでもなく、人間という生き物の本能的な衝動としての、人と人との間にふわりと流れる空気としての、「愛」が描かれている。感じがして、なんだか受け入れられる。
ちょっと非現実っぽいところがいいのかな。
でも、野生の本能をリアルに書いている感じもあって、うーん、わからない。
ほんとうの恋って、こういう感じなんだろうか。まだわからない。(25歳にして)

自分は何をして、どんなふうに、誰と寄り添って生きていくのだろう。
それって、いつわかるのだろう。
おとなになったら、わかると思っていた。
でも、たぶんそれは死ぬまでわからない。
先日、公務員を30年続けている父が「まだ諦められないなあ〜」なんてこぼしていて、人生っていうのは、何をしていてもどんなふうに過ごしていても誰といても、ほんとうに不思議にただ過ぎていってしまうんだなぁと思った。

でも、おばあちゃんが死んだときに思ったのだ。
お葬式には、おばあちゃんにいろいろ食べさせてもらったり相談にのってもらった、当時の若者であったおじさんたちがいっぱいスーツで現れ、店でデートした話とか、失恋しておばあちゃんにエビフライを食べさせてもらった思い出とか、あれこれ語って帰っていった。
そうやって人の人生の、本当の意味での背景になるってなんてすごいことだろう、と私は感動したのだ。 P24

こんなふうに、同じことを毎日繰り返しているようで、誰かの人生の背景にしっかり入り込んでいる。
自分だけが主役の舞台で一生懸命自分の役割を探しつづける人生も、こんな風にたくさんの舞台の背景になる人生も、どちらもありなんだよなぁ。

それから、家族のことで傷ついたことがない人なんて、この世にはひとりもいないということも、もうさすがにわかってきた。自分は全然特別ではなくて、みんなそれにうまく対処したりできなかったりの差があるだけで、いずれにしても家庭に慈しまれはぐくまれて、その反面家族というものに規定されてしまうのが、人間っていうものなんだ、と私はさとった。 P83

私なんか、この世にいてもたいしてスペースはとっていない、そういうふうにいつでも思っていた。人間はいつ消えても、みんなやがてそれに慣れていく。それは本当だ。でも、私のいなくなった光景を、その中で暮らしていく愛する人々を想像すると、どうしても涙が出た。 P105

家族、かぞく。
家族って、産まれた時は決められたもので、大人になると少なくとも「誰と家族でいるか」ということは決められるようになる。
傷つけあって、煩わしくて、それでも家族のいない生活は考えられない。
この世のどこかに「自分の家族」ってものがない世界を想像すると、わたしはもうここに生きていられなくなるだろうな、とさえ思う。

そしてはっと気づいた。私は自分がいったん決めたことを変えるのが、かたくななまでに、できないたちだということを。それで、そのあまりのかたくなさにまわりは口出しのしようもなかったということを。 P115

わたしは、周りの目を極端に気にするし、それでいてとてつもなく頑固なところがあるので、この一文にとても共感しました。
いったん決めたことを(自分の納得感なしに)変えるのが、いやなのではなくて、「できない」のだと。

ものごとを深いところまで見ようということと、ものごとを自分なりの解釈で見ようととするのは全然違う。自分の解釈とか、嫌悪感とか、感想とか、いろいろなことがどんどんわいてくるけれど、それをなるべくとどめないようにして、どんどん深く入っていく。 P131

これは、さらりと書かれていて、実はとてもむずかしいことだと思う。
世界は、それぞれの人が見る世界というのは、どれもがその人の解釈を通して成り立っているものだと思うので、それを完全に取っ払ってものごとの本質みたいなものを見つめるのは、ほとんど不可能に近い作業にすら思える。
そもそも、誰の解釈も通さない「本質」なんてこの世にあるのだろうか。あるとすれば、わたしはとても興味がある。

いい環境にいることを、恥じることはないよ。武器にしたほうがいいんだよ。もう持っているものなんだから。P202

わたしは日本に生まれて、この時代に生まれて、良い家族に出会えて、恵まれているのだから、文句を言ってはいけない。
もっと過酷な環境にいる人もいるんだから。頑張らなきゃ。
そんなふうに、何度自分を抑えてきただろう。
そして、それに抵抗するように、自分の生身の部分は、どんどん傷ついていった。
持っているものを武器にする。
それも、今後の自分の課題の一つかもしれないな。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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