孤独、死、アルコール『ファイアズ(炎)/レイモンド・カーヴァー』村上春樹訳

エッセイ、詩、短編。
この本には、レイモンド・カーヴァーの3つの側面が収められている。
孤独。
アルコール。
死。
現実的な生の手段としての仕事。

それらの重苦しいテーマを、日常の出来事を通して生々しく描く。
軽快な娯楽や、おあつらえ向きの感動なんてものは、彼の作品にはほとんどない。

決して悪い意味ではなく、鉛色の人間たち。
幸福そうには見えない、人間たち。
それでも、ある意味では「本当の」人間たち。

そういう彼の書く世界に、ときたまわたしはついていけなくなることがある。

「なんだってこんな世界に、これ以上踏みとどまっていなくちゃならないんだろう?」
そんな気分にさえ陥ってしまうこともある。

そして、著者レイモンド・カーヴァーは、作家として恵まれた環境にあるとは言えなかったと思う。

天才は、ある程度は環境によって作られるのだ。

幾度もの転職。
子どもたちの世話。
アルコール。
アルコール。

彼が長編小説に手をつけなかったのは(あるいはつけられなかったのは)、そのような現実的で、そして重要な真実が彼を阻んだせいだ、と言えなくもないのではないか。

それでも彼は書いた。
同じ作品を何度も何度も書き直すことが、彼のスタイルだったらしい。

書き直しを崇拝する師につき、自らも自然な行為として書き直しを行う。
わたしはできれば一度で書ききってしまいたい人間なので(そんなことはできないのだけど)、彼のそんな側面を尊敬する。

彼という人間が、読むたびにわからなくなる。
傲慢なのか?
生真面目なのか?
強いのか?
脆いのか?
絶望しているのか?
何を考えているのだ?
何を望んでいるのだ?

不可解なほど、作品によって違った面が見え隠れする。
けれど、概ね上記したような孤独、生死観、アルコールが彼を浮かび上がらせる。

作家にはトリックも仕掛けも必要ない。それどころか、作家になるには、とびっきり頭の切れる人間である必要もないのだ。たとえ阿呆のように見えるとしても、作家というものはときにはぼうっと立ちすくんで何かに――それは夕日かもしれないし、あるいは古靴かもしれない――見とれることができるようでなくてはならない。頭を空っぽにして、純粋な驚きに打たれて。 P40

↑エッセイ『書くことについて』より

作家というものは、自分で述べたことを目で見るという進行過程の中で、自分の言いたいことを発見するのだというのがガードナーの基本的な持論だった。 P86

↑エッセイ『ジョン・ガードナー、教師としての作家』より

そうしようと思えば、今日の午後にも二時間ほどは釣りをすることができる。そして明日がある。明日は一日まったく手つかずのままあるのだ。 P273

↑短編『キャビン』より
手つかずの明日。この新鮮で確かで、それでいて保証のない表現がいい。

でも世の中ってそういうものだ。まっとうな人間がくたばって、ろくでもない奴らが生き残る。 P306

↑短編『ハリーの死』より
小説を通してなら、なんだって言えてしまう

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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