良くも悪くも人は想像できるから『想像ラジオ』いとうせいこう

※本記事は多少のネタバレを含みます。

あなたには、僕の声が届いていますか。
僕にはあなたの声が届いています。

誰かからの声は、耳だけで聴くものじゃないんだ。

気づくと杉の木のてっぺんにぶらさがり、動けなくなっていた「俺」。

深夜二時四十六分に放送される、「想像ラジオ」。

聴き手の想像力を電波として放送されるため、聴き手によっては朝に聞こえるかもしれないし、昼に聞こえるかもしれない。
でも、DJアークはいつも深夜に放送し続けている。

内容も、流れる曲も、聴き手によって違うんだろう。
そしてその「聴き手」ってやつも、おそらくはDJアークの心の中にしか存在しない。

けれど。そこには確かにつながりがあって、音が流れていて、心が通い合っている。

東日本大震災から五年。
その「当事者」とは誰なんだろう、ということを真剣に考えさせられる一冊です。

死んだ人
大切な人を失った人
家を失った人
家が傾いた人

「自分より悲惨な目に遭った人がいるから」と、自分の悲しみを押し殺さなければならないのか

テレビで悲惨な映像を目の当たりにし、胸を痛めた人
募金をした人
献血をした人
東北にボランティアに行った人

当事者ではない自分に何ができるのか
それは偽善ではないのか
けれど、たとえ偽善であれ、誰かの役に立てば
いや、あるいは自分の行為は誰かを傷つけているのか?

「当事者」ではない人々の葛藤。

でも、わたしは海外の人に「日本人だから」という理由で、あの震災の当事者だというような見られ方をしていたことがある。
じゃあ、当事者って、誰なんだ

決してきれいごとではなく、何かをまとめたものでも、涙をさそう悲しい「イイハナシ」でもなく、個人の思い。

それはあくまで個人的に感じられ、個人的に語られ、個人的に想像される。

だから、震災という事実の捉え方、悲しみ方、前の向き方は、方法論にはできない。

人には感情がある。
大切な人を失う悲しみ、目の前で建物が倒壊する恐怖、避難所での凍え、飢え、不安。
だからこそ、想像するしかない。
いや、想像していいんだ。

死んだ人のこと。
今どこかにいるかもしれない魂のこと。

「想像」は、生きているわたしたちに許されている。
死者の声を通して、そう言ってくれている気がして。

DJアーク。
アースクエイク(地震)から取ったのだろうか、なんて考え過ぎか。

これで自分は死ぬのだと思った揺れの最中、テレビで津波を観て心が壊れた瞬間、翌日に原発が爆発したのをテレビで知って体が震えた時が、今しがたのことのようによみがえります。この傷がすっかり癒えることはないのです。
一方で、直接に身近な人を亡くしたわけでもないのに、つまり当事者とは言いがたいのに、悲嘆に暮れている自分に欺瞞を覚えもしました。このつらさは自分にとって根源的で切実なものだと感じるのに、当事者ではないというやましさに苛まれもする。
P213(解説より)

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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