人は不自由な肉体を抱えて。愛は一方通行で『春の嵐』ヘッセ

『車輪の下』『デミアン』などでお馴染みのヘッセ。
確かに暗いには暗いのだけれど、その暗さの中で光る「人であることの特別な感覚」みたいなものが、すごく綺麗に描かれる。
「詩人になるか、でなければ何にもなりたくない」と神学校を脱走した少年時代の逸話があるのは有名なお話。

そんなヘッセの思い込みの強さや、ひどく繊細なところ、彼を取り巻く世界への疑問や怒りがふんだんに散りばめられている。
そして、恐らくは自分自身への矛盾した気持ちも。

※本記事は引用を含みます

今回のお話の主人公は、若気の至りによってほとんど自業自得的に足の自由を失った、音楽を志す青年。

苦心して作曲したり、ありふれた(そして本人にとっては決してありふれてはいない)恋に落ちたり、足のことで劣等感を抱えたり、何もかもを投げ出してしまいたくなったり。

多くの人間が直面するであろう範囲の障壁や苦労を描いているだけにもかかわらず、人生とはかくも厳しく冷酷であるという事実を見せつけられる。

ふと、彼の場合はたまたま目に見える形で不自由が現れたのだろう、程度の量が少しばかり多かっただけなのだろうと思う。

つまり、足が不自由であることによって彼は誰かとくらべてしまったり、それによって自分になにかしらの欠損があるように思ってしまうかもしれない。
けれど、肉体を持っているという時点で人は不自由なのではないか。
肉体を持つことによる障壁を減らすべく設計された社会に住んでいると、そういうことに気づけないだけで。

あるいは。
恋に破れるということも、片方がしっかりと言葉で断ったり、他の誰かとくっついたりすることで目に見える形になるけれども、本当の両思いなんてのはないんじゃないだろうか。
恋人、夫婦、親子、そういった形を取る愛情は、全て例外なく一方通行の片思いではないのか。

だから人は、いつまでも愛する人の気持ちの在り処を案じ、失うことを怖れ、その人から自分がどう見られているのかを気にするのかもしれない。

その程度が一定を超えた時だけ、人はその中に内包していた潜在性に気づくのだろう。

その当時すでに私は、ほんとうの創作は人を孤独にし、私たちが人生の快楽からもぎとらずにいられないものを犠牲にすることを要求するということを、いくらか気づいた。 P11

自分が自分であることも忘れて、今その瞬間を楽しむことが快楽だとすれば、創作というのは自分自身をどこまでもどこまでも見つめ、そしてそれは決して何にも到達せず、過去や未来とつながっているのに、過去も未来も失われているような感覚になる。

私はもはや快楽と憂苦とを区別しなかった。それはたがいにひとしく、どちらもが私に苦痛をあたえ、どちらもが甘美であった。 P35

天国には、快楽が待っていると思う人もあるかもしれない。
けれど、苦のない快楽は存在しない。少なくとも人間は、苦なくして快楽を感じられるほどうまくできてはいない。

若いものたちは利己主義と独立感にかられて、願望が満たされないと生命を放棄するようになる。これに反し、自分の生命が他の生命と結びついているのを知るものは、自分の欲望のためにそんなにまで駆りたてられるにいたらないと、父は言った。 P146

自分の生命が他と間違いなく結びついているんだという感覚、わたしにはまだわからない。生命は放棄していないけれど。

私には人間の生活というものは深い悲しい夜のように思われる。それは、ときおりいなびかりでもきらめくものでなかったら、耐えられないものであろう。いなびかりの瞬間的な明るさは非常にすばらしく慰めを与えてくれるので、その幾秒かは、幾年ものやみをぬぐい去り償うことができるのである。 P152

人生はアメとムチ。うまくできている。

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投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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