言葉をうつしかえること。『翻訳夜話』村上春樹、柴田元幸

実は今、友だちの本の翻訳を頼まれている。
彼女が日本に来た時の体験記で、さほど長くもない。

英語なんてもうほとんど中学生みたいなレベルになってしまったし(語学は初めから一貫して苦手である)、迷ったのだけれど、まあ今できる範囲での全力を尽くすということで、合意を得た。

友だちがフィンランド語を英語に訳し、それを日本語にこつこつと訳している。

訳しながら思うことは、翻訳というのは英語のレベル云々とはまた全然違ったスキルを必要とされる。もちろん英語の知識はあればあるほどいいのだけれど、同時に日本語の構築力がかなり求められる。

そこに洋書を読む時のような(ほとんど読まないけれど)スピード感はまるでなく、どんなに簡単な単語でも立ち止まって隅々まで検証することが大切なのだ。
思わぬ意味が隠されているかもしれないから。

そして、わたしは日本語について、そして日本の文化について大いに発見することになる。
そこには村上氏が言うように、「雑学」の知識も大いに必要とされる。

例えば、わたしは天皇陛下が毎年手作業で田植えや稲刈りをしているなんて知らなかった。稲作と天皇家の関わりなんて、気にもとめたことがなかった。
そういうことである。
これが例えば、作家の地元のことを書いていたり、時代背景が違ったりすると、もう大変だろう。
その当時の流行りのもの、地元の人々の常識、日本語に置き換えるとどのような言葉になるのか。そういった膨大な知識と、勘と、流れを読む力みたいなものが求められる。

それは英語が堪能とかそうじゃないとか、そういうことを遥かに超えている。

その事実はわたしを少しだけ勇気づけた。
英語の上手い下手だけでは完結しない、奥ゆかしい世界なのだ。

前置きが長くなったけれど、『翻訳夜話』では作家の村上春樹氏と、多くの本を翻訳し、現在は東大名誉教授の柴田元幸氏が翻訳について語る。
相手は東大の生徒だったり、翻訳スクールの生徒だったり、プロの翻訳家だったり。

翻訳には正解がない。
受験勉強の和訳とは違って。
翻訳者は、受験和訳を抜くところから始まるとさえ言われる。

だから、村上春樹と柴田元幸両氏のあいだでも意見がしばしば分かれるし、柴田氏が生徒に教える時も「これは誤りなのか、好みの問題なのか微妙な線だな」ということが起こる。

れっきとした作者がいるのだから、それを忠実に訳すことには変わりない。
けれどそれを日本語として読んだ時に、不自然にならないようにする段階で訳者の個性がどうしてもにじみ出る。
自分を殺しつつも、文章を生かす。

その慎み深い作業は、想像以上に面白い体験と、癒しを与えてくれるような気がする。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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