栄光と凋落『マイ・ロスト・シティー』スコット・フィッツジェラルド

誰しも、人生のバイブルの一冊や二冊は持っているものかもしれない。
かの村上春樹にとって、それは迷うことなく『グレート・ギャツビー』だそうだ。
ちなみに、三冊まで選んでいいとすれば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』がそこに加わる。

そう、『グレート・ギャツビー』。スコット・フィッツジェラルドの代表作である。
村上春樹をしてそこまで言わせしめる作家。

けれど彼自身は、自分のことを「歯医者の待合室での退屈な三十分を共に過ごすにはうってつけの作家」と自虐的に評している。(『残り火』より)

そして、村上春樹にとっても第一印象はあまりぱっとしないものだったらしい。
ふうん、という感じで読み、まあ確かに良いことはいいけれど、と感じ、それでも他の偉大な作家(例えばヘミングウェイ)に比べれば、風化した風俗作家のような印象を受けたという。

けれど、彼曰く、「そして突然何かがやってきた」。
ある時にスコット・フィッツジェラルドの魅力にずるずるとはまり、それ以降は

このように何年ものあいだ、スコット・フィッツジェラルドだけが僕の師であり、大学であり、文学仲間であった。 P13

というほど彼の世界にのめり込むことになる。

なぜこんなにも村上春樹的フィッツジェラルドを語ることができるのか。
それは、本書の最初のほうで「フィッツジェラルド体験」として村上氏とフィッツジェラルドの関係性、フィッツジェラルドの小説についてページが割かれているのだ。作品を素の作品のまま世に出すことを(まえがきやあとがきをつけずに)好む彼にしては、異例の待遇である。

※本記事は引用を含みます

そして読者は、『マイ・ロスト・シティー』の短編を通じて、若くしてもてはやされるスコット・フィッツジェラルドと金と女と酒に悩まされ、凋落していく彼の様子をありありと感じることになる。

何故人々はひとつの事柄をそれぞれに食い違ったまま胸に抱き続けるのだろう――そう思うと彼の心はどうしようもなく暗くなる。(失われた三時間)

そうだ、私にはわかっていたのだ。自分が望むもの全てを手に入れてしまった人間であり、もうこの先これ以上幸せにはなれっこないんだということが。(マイ・ロスト・シティー)

その最も高いビルディングの頂上であなたがはじめて見出すのは、四方の先端を大地の中にすっぽりと吸い込まれた限りある都市の姿である。果てることなくどこまでも続いているのは街ではなく、青や緑の大地なのだ。ニューヨークは結局のところただの街でしかなかった。(マイ・ロスト・シティー)

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投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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