人生の意義はどこにある?『日はまた昇る』アーネスト・ヘミングウェイ

「あんたたちはみんな、”a lost generation”なのよ」
ヘミングウェイの文学上の師の一人、ガートルード・スタインが、第一次世界大戦後に活躍した米国人作家たちを指していった言葉。
その対象は主に、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルド、ウィリアム・フォークナー、ドス・パソスをはじめとする世代であり、「失われた世代」「自堕落な世代」と訳されている。
スタインは、その世代が何に対しても敬意を払わず、酒を浴びるように飲むことをそう形容したのだ。

それに対し、ヘミングウェイはひどく反発している。
“a lost generation なんて彼女の言いぐさは、くそくらえだ。薄汚い、安直なレッテル貼りなど、くそくらえだ”

そして、その反発心をこの処女長編小説『日はまた昇る』に込めた。新進作家の長編は大成功を収め、当時の読者は”a lost generation”を文字通り「迷子の世代」と受け取って理解した。

日本ではこの言葉を借りて、バブル崩壊後の10年の間に社会に出た世代を「ロストジェネレーション」と呼んだりもするらしい。
思えば日本では、世代に様々な呼び名が付く。
「団塊の世代」「バブル世代」「団塊ジュニア」「ロストジェネレーション」「ゆとり世代」「さとり世代」……
いつの時代も、第二次世界大戦後の狂気に振り回され、そのままいまだに落ち着きを取り戻していない船のようにも見える。

そんなふうにひとくくりにされたレッテルの中で、人は小さくも自由に自らを羽ばたかせようと懸命にもがくのだろう、か。

※本記事は引用を含みます

『日はまた昇る』は、若き男女がスペインまで闘牛を楽しみに行くお話。
アメリカは禁酒法時代で、彼らはパリで酒とともに行くあてのない暮らしをしていた。

一人の浮気な女を巡って、男たちがふらふらと彷徨い、酒を飲む。
グループは散り散りになり、また集まる。
酒だけが彼らの架け橋となり、明日のことは誰も知らない。
それでも彼らは笑う。

スペインで、パリで、モン・サン・ミッシェルで。
抗えない欲望と闘いながら。

個性ある登場人物たちが、道しるべのない世界を生きていく。

きみはこういう感じに襲われることないかな、人生は着実にすぎ去っていくのに、自分はその果実を存分に摘みとっていない、という? 人生の半分近くをもう生きてしまったんだ、って感慨に打たれることはない? P24

なあ、ロバート。どこか外国にいったって、何か突破口がひらけるわけじゃないぞ。そういうことはみんな試してみたんだ。ある場所から別の場所に移動したって、自分自分から逃れられるわけじゃない。何の役にも立ちゃしないって。 P25

主人公のジェイクが友人ロバート・コーンに告げる。二度の恋を失ったロバートは、南米に出かけたがっていた。

昼間なら、何につけ無感動(ハード・ボイルド)を決め込むのは造作もないことだ。が、夜になると、そうはいかなかった。P67

夜はいつでも私たちをおかしくさせてしまう。
夜にひとりきりになったことのある人でないと、わからない感覚かもしれない。

人生の意義などということには、これまで頓着しなかった。知りたかったのはただ一つ、いかに生きるか、だ。たぶん、いかに生きるか、がわかれば、人生の意義も見えてくるのだろう。 P274

いかに生きるか。つべこべ言っても人生は存在している。あとはそれをどう使うかを考えるしかない。

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