新聞の文字がゴキブリに見えたら。『命売ります』三島由紀夫

※本記事は引用を含みます

羽仁男は自分が自殺に失敗したのを知った。
………………………………。

本を開いて2ページ目には、こんな文章が目に入る。
彼は、睡眠薬を飲んで終電に乗り込み、死にそこねたのだ。

そもそも彼が死を決意するに至った考えにひどく共感した。
文庫本8ページ目にそれは書かれている。
長いので引用はしないけれど、要は読んでいる新聞の文字がゴキブリに見えてきて、それで世の中を悟ったというようなぐあいだ。

そして彼は、一度人生がなくなったものとして、自分の命を売りに出す。

自殺をしそこなった羽仁男の前には、何だかカラッポな、すばらしい自由な世界がひらけた。 P11

これからはもう物事をあんまり複雑に考えるのは止しになさるんですね。人生も政治も案外単純浅薄なものですよ。もっとも、いつでも死ねる気でなくては、そういう心境にはなれませんがね。生きたいという欲が、すべて物事を複雑怪奇に見せてしまうんです。 P159

このように描写されているように、「死にたい」と思うのではなく、「いつでも死ねる」「もう自分は一度死んだんだ」というようなところまでいくと、その後の世界はとても自由でシンプルに見えるということなのだ。

この感覚は、本当に心の底から死にたいと思い、実際にそれを行動に移そうとまでしてしまった人には心あたりがあるかもしれない。
この世で執着のあるのは、この命あってのことなのだから、「命を捨てたと思えば、それ以外は輝きを失う」ということなのだろうか。

命を買う人には実に様々な種類の人がいるが、彼らは総じて怯え、こだわり、怒り、欲している。
それもこれも全て、「この世」への執着が生んでいる。

羽仁男はその中にいて「つん」とすました様子で大きく構え、世離れした反応を示している。

この作品のすごいところは、それでいて羽仁男がやはり「生きる人間」としての要素を失いきってはいないところだと思う。
当たり前といえば当たり前かもしれないが、命あるかぎり、また欲望は生まれるのだ。

命の売買にさらされるうち、羽仁男は疲弊し、一時看板を下ろす時期がある。

疲労が、彼を生きのびさせているのはふしぎな現象だった。死という観念と戯れるのにさえ、エネルギーが要るのだろうか。 P83

「うつは治りかけがいちばん危ない」というのを耳にしたことはないだろうか。
本当に悪い症状の時は、死ぬことすら億劫になってしまう。
少しよくなり、「死ぬ元気が出てきた」ころが危ないぞということだ。

確かにそうかもしれない。
古い小説だけれど、生きがいを失ったり、人生の意味を求める今の時代にこそ読まれるべき一冊ではないか。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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