生き方は決められる『優雅な生活が最高の復讐である』カルヴィン・トムキンズ

生き方は決められる『優雅な生活が最高の復讐である』カルヴィン・トムキンズ


優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

Living Well is the Best Revenge ―優雅な生活が最高の復讐である―

素敵な言葉だと思いませんか?
もともとはスペインのことわざだそうで、わたしはこの本を村上春樹氏の本(ウェブ上での読者とのやり取りを収録した三冊のうちのどれか)で知りました。
それからネットで探してみるも、すでに絶版になっていて、古本なのに高価……

ということで、図書館にお世話になりました。図書館最高。

※本記事は引用を含みます

この本に描かれているのは、画家であるジェラルド・マーフィー、そしてセーラ・マーフィー夫妻。
彼らはF.スコット・フィッツジェラルドが憧れ、『夜はやさし』のモデルにしたとも言われている。
実際に、『夜はやさし』の最初の部分には「この本をジェラルド、セーラに捧げる」的なことが書いてあるのだ。

マーフィー夫妻はスコット・フィッツジェラルドのみならず、アーネスト・ヘミングウェイ、ピカソ、レジェ、コール・ポーターなどの著名な芸術家たちとの華やかな交友関係が目立つ。
それでいて、彼らは決してパーティーフリークの下品な成金だったわけではない。

マーフィー夫妻がいると、誰だって愉快で、穏やかで、幸せな気持ちになれた。
特にジェラルドは、客人をそういう気持ちにさせる達人とも言える人物だった。

彼はまた、自分の環境をうまくつくりあげ、いい意味で自分にとって居心地の良いように解釈することに長けていた。

『人生のじぶんでこしらえた部分、非現実的なところだけが好きなんだ。ぼくらにはいろんなことが起きる――病気とか誕生とか、ゼルダのプランジャン入院とかパトリックのサナトリウムとか義父ウィボーグの死とか。それらが現実だ、どうにも手の出しようがない』。すると、スコットが、そういうものは無視するってことかい、と聞いてきた。だからこう答えた。『無視はしないが、過大視したくない。大事なのは、なにをするかではなくて、なににこころを傾けるかだとおもっているから、人生のじぶんでつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ』。 P192

こんなふうに、マーフィー夫妻にもそれなりに現実のつらい運命は待っていた。
三人の子どもを二人までも幼いうちに亡くしてしまったし、身内の経営する会社の尻拭いもしなくてはならなかった。
けれど彼は、あくまでも「優雅な態度」を心がけ続けてきた。
例えば、息子のサナトリウム(長期的な療養を必要とする人のための療養所)時代にも、山小屋を飾り付けて楽しく生きようとした。
決して不幸に飲まれまいとしていた。
そういうところこそが、マーフィー一家が他の人を惹きつけてやまない面だったのだと思う。

ジェラルド・マーフィーが見つけてきた辛辣なスペインの諺がある。「優雅な生活が最高の復讐である」。 P197

きっとジェラルドは信じていたかったのだろう。
自然とそのように行動していたというよりも、懸命に心がけていた。
友人に対する態度においても、生活や仕事においても、そして彼自身に対しても。

けれど、彼のエピソードの数々から見えてくるのは、それだけではなかったように思う。
本は以下のように締めくくられる。

ジェラルド・マーフィーはレジェの言葉を引くのが好きだった――「快適な生活とひどい仕事、ひどい生活と美しい仕事、どっちかだよ」。しかし、優雅な生活は、生活か仕事かのどちらかで失ったものへの十分な復讐にはならなかった。ジェラルドはかつて語ったことがある。絵をはじめるまではぜんぜん幸せじゃなかった、絵をやめざるをえなくなってからは、二度と幸せになれなかった、と。 P239

ジェラルドは、ーその懸命な心がけにもかかわらずーと言ってしまって良いものか難しいところではなるけれど、結局はその人生に対して十分な復讐はできなかったのではないか。
子どもを亡くし、貯金は少しずつ削られていった。
彼らはあくまでも優雅に暮らそうとしていた。
実際の心の内はどうだったのだろうというところに思いを巡らせてみると、優雅ではない時もあったのだ、というほうが彼らにより人間味を与えることになるとも思う。
もっとも、そんな外野の推測は野暮なものかもしれない。

しかし、スコット・フィッツジェラルドは彼らの優雅さに憧れた。
一時的な収入として見ると、スコットのほうが上回っていたこともある。
けれど、マーフィーはそれにもまして優雅だった。
外からあれこれいう分には、もうそれで十分なのではないか。


優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)