小説にどこまでも誠実だった人『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』村上春樹


ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (村上春樹翻訳ライブラリー)

村上春樹とスコット・フィッツジェラルド。
彼らの関係は、じわじわと形成されたものでもあり、また唐突に花開いたものでもあった。
マイ・ロスト・シティー』で、村上春樹氏はスコット・フィッツジェラルドの作品との出会いをこのように述べている。

「そして突然何かがやってきた」

それから村上春樹氏はスコット・フィッツジェラルドに傾倒することになり、『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』
なるものを出すにまで至る。

それはスコットの作品のみならず、スコット・フィッツジェラルドという人間そのものに魅了された結果と言えるかもしれない。

なによりも本書を読むと、それがひしひしと伝わってくる。

※本記事は引用を含みます

まず第一部では、スコット・フィッツジェラルドに縁のある5つの町のことが語られる。
スコット・フィッツジェラルドという作家は、いい悪いの問題ではなく、自分の体験したことをもとにしてしか小説を書くことができなかったという。
それゆえに、彼の住んだ町、訪れた町、関わった人々などを知ることは、そのまま直接的に彼の作品をより深く知ることにつながってゆく。

また、第二部は「スコット・フィッツジェラルドについての幾つかの文章」として、三本の解説のようなものが挟まれる。
そこではまず『夜はやさし』に2つのヴァージョンがあったことが語られる。

しかしフィッツジェラルドは『夜はやさし』の不評の原因を表現上の問題にあったと分析し、モダン・ライブラリあるいはスクリブナーズ版の再版に向けて書き直しを進める。極めて誠実な態度である。
フィッツジェラルドはいかなる場合においても読者や批評家や時代に対して恨みや泣きごとを口にするようなタイプの作家ではなかった。たとえベストを尽くしたにせよ、失敗したからにはそこに何かしらのミスがあったはずだし、将来のためにもそのようなミスは除去されねばならぬ、というのが彼の哲学である。
一人の作家が九年にわたって書き続け、自分でも「完成された作品」と見なしていた意欲作が世間から婉曲に拒絶された時に、なかなかこのように思えるものではない。フィッツジェラルドの胸中は察するに余りある。P130

そしてフィッツジェラルドはこの作品を自ら改訂できぬままにこの世を去り、彼の遺した指示書きをもとに文芸評論家マルカム・カウリーが編纂しなおした。
『夜はやさし』が2ヴァージョンあるのには、このような経緯がある。

同じ第二部には、スコットの妻ゼルダ・フィッツジェラルドについての描写がある。
小説に対しては非常に誠実だったスコットの私生活は、はちゃめちゃで贅を極めたものだった。
いや、あのように浪費、パーティー、酒にまみれた生活の中で、小説にだけは非常に誠実だったという言い方さえできるかもしれない。
その夫婦揃っての馬鹿騒ぎに、周りも戸惑っていた。
サラ・マーフィー(『優雅な生活が最高の復讐である』でセーラ・マーフィーとして描かれる人物)は、ある日ゼルダの無謀な振る舞いを注意したが、それに対してゼルダはこう答えた。

「でもサラ――あなた知らなかったの。わたしたちは生命の維持が別にいいことだと信じちゃいないのよ」 P165

こんなふうに言われてしまっては、注意する方も肩透かしを食らってしまう。

そして最後の第三部では、「自立する娘」「リッチ・ボーイ(金持の青年)」の二つの短編が新たに訳しだされている。
特に「リッチ・ボーイ」のほうを訳す時、村上春樹氏は訳者としての苦労をこのように語っている。

緩急自在、優しいかと思えば冷酷、深く書きこむかと思えば実に大胆にすっとばすという、まるで繊細なジェットコースターの如きフィッツジェラルドの文章を正確にそのまま日本語に翻訳するのは至難の業、あるいはもっとはっきり言って不可能なのだ。P253

そうまで言われてしまうと、彼の文章を英語の原文で読んでいないことには、「フィッツジェラルドを読んだ」と言ってしまってはいけない気すらしてくる。

そして最後の最後に、「スコット、アーネスト、そして誰でもいい誰か」という題でアーノルド・ギングリッチという「エクスファイア」誌の編集者の文章で本が締めくくられる。
ここでは文字通り、スコット・フィッツジェラルドとアーネスト・ヘミングウェイが比較して語られているが、彼らは宿命的に、どこに行っても比較されることになった。

そしてこの編集者はかなりスコット・フィッツジェラルドのほうを贔屓目にみていたけれど、それでもなお、スコット・フィッツジェラルドという人のほうがアーネスト・ヘミングウェイという人よりも人間として(と言ってしまっていいかわからないけれど)、魅力ある人物だったように思える。

この最後の文章までをセットに、『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』は読んだものを彼の世界に誘うには十分な内容だった。


ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (村上春樹翻訳ライブラリー)

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