カスタード・プディング的結末ということ『熊を放つ』ジョン・アーヴィング(村上春樹訳)

正直に言おう。
わたしはこの本を手に取り、いささか埃っぽい中古本をめくりながら読み進めていた時、何度か本を投げ出してしまいたくなった。

現代アメリが文学を代表するジョン・アーヴィング氏の処女長編。
彼の作品の入り口として、本書を選んだわけだけれども、その暑苦しいほどの青春の痛み、特有の不可解さに、自分がいったいどこに立っているのかがしばしばわからなくなった。

それでも、上下巻に分かれる本書の下巻の3分の1ほどのところに来る頃には、すっかりジョン・アーヴィングという作家の熱情のようなものにがっちりと掴まれていた。
彼の次の作品を読まないわけにはいかない、という気分になっていた。
ひとつの作品を通して、その内容云々よりも、これほどまでに「本全体」の評価が自分の中で揺れた作品というのも他になかった。

『熊を放つ』は三章で構成されている。

 

※本記事は引用を含みます。

第一章は、主人公グラフと、その友人(とはいっても、彼らは特段親しい友というわけではなかった)ジギーは旅に出る。
若い衝動に任せて、バイク一台で、無計画に。
野宿をしたり、女の子に出会ったり、とにかく彼らは疾走する。
何もかもが、予告もなく突然に終わりを告げるその時まで。

そして第二章「ノートブック」に突入する。
第二章はジギーの「動物園破り」の計画と、彼の祖先たち(祖父、母、父、そしてそれに連なる男性たち)のクロニクルのようなものを記した手記の内容が交互に出てくる。
これが非常にわかりにくかった。
まず、ナチス・ドイツや、第二次大戦前後の知識がないと、うまく入り込んでこない。その時代のドイツ、オーストリア、ハンガリーとの国境のことなんかが、当時のオーストリアの首相とジギーの祖父たちの描写を交えながら描かれる。

例えば、皿に塗ったラードに鶏の羽をつけた、鷲人間のことなど。それはあくまで象徴にすぎないわけだけれど、それが未熟なわたしにはわけがわからなかったのだ。

そして、それと同時進行的に明かされるジギーの動物園破り計画。
どこまでも綿密に練られた、下見の記録。
どうして彼はそんなことをするのだろう?
ジギーは動物園視察の前に、このように語っている。

僕は自分がどれくらい今の時代に対してずれを感じているかがわかる。何かを実感したり、指針を求めるのに、自分がいかに前史に頼っているかがわかるのだ。ごたごたと理屈を並べずに、ひとことで言うと、こういうことになる。つまり、すべての人間は前史の他には何も持たないのだ。暫定的な時代に生きていると感じる人間にとって、大事なことは、彼の生まれる前にすべて終了しているのだ。 (上)P229

ジギーはまた、その歴史を記した「記録」のようなものを大学の博士に研究論文として提出を試みる。
しかし、博士の言うにはそこには「紛れもない偏見が充ちているし、歴史像が不完全であり、軽薄であり、そのうえ――脚注もついていない」と一蹴する。
博士はユダヤ人の何百万もの虐殺の事実なしには歴史は語れないとするが、ジギーはこの論文は「リアルな歴史を志したものではない」と反論する。
ジギーは数字に対して懐疑的な人だった。

だが僕に言わせれば、統計学というのは人を迷わせてしまうものだ。数字というものはおおかたものごとからその残虐さをさっぴいてしまうものなのだよ。 (下)P154

そして友人ジギーのノートブックを心を痛ませて読みながら、グラフはこう考えている。

君を捉えたのは世界という名の強風なんかじゃないんだ、ジグ。君は自分でそよ風を起こし、それに吹きとばされたのさ。 (下)P171

第三章は、そのジギーのノートブックに触発されたグラフがある行動を取ることに始まる。
グラフはまず、ジギーの言葉を思い出した。

彼はかつて物事を駄目にしない方法を心得ていた。計画を立てないことだよ、グラフ君。何も予定しない。いつどこに行くとか、いつ戻ってくるとかね。 (下)P176

けれど、大事なところは、ジギーは動物園破りの「この上なく綿密な計画」を持っていた、ということにあった。
計画は隅から隅まで緻密に立てられ、それでいて計画なんて持たない。そういう矛盾が、ジギーを取り巻いていた。

そして決定的な第三章が繰り広げられる。
このあたりでわたしはすっかり夢中になってしまった。

詳しくは本を読んでいただきたいのだけれど、結局のところこの言葉に尽きるのではないかとわたしは思う。

彼らの脱走があまりに多くの他の物事と同じようなカスタード・プディング的結末をとらなかったことに対して僕は感謝した。 (下)P333

カスタード・プディング的結末。
ジョン・アーヴィングという人は、このような物事の描写がうまい。
核の部分はちっとも書いていないのに、つまり明言化していないのに、
しっかりとこちらに本質の部分が伝わってくるのだ。


熊を放つ 上(村上春樹翻訳ライブラリー i- 1)


熊を放つ 下(村上春樹翻訳ライブラリー i- 2)

The following two tabs change content below.
ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。