『中国行きのスロウ・ボート/村上春樹』

村上春樹の初めての短篇集『中国行きのスロウ・ボート』

実はこの本を、前も読んだことがあるかもしれない。

いや、この本の中の「いくつかの話」を読んだことがあるのかもしれない。
そんな既読感があった。

吉本ばななを三本立て続けに読んだあ後にこの本を開いた時、何故かとてつもない安心感が私をつつみこんだ。

吉本ばななの作品は、人間の弱いところや過ち、未来への危惧や、反対に希望、自然の美しさなんかについて、ストレートに正攻法で胸に突き刺してくるようなところがある。

おかげで読了した後は、あれこれと物思いにふけり、感情が乱高下し、夜中にしばしば目覚めることになる。

それに比べて、村上春樹の場合は、なんというか問題提起の仕方が柔らかなのだ。

確かに皮肉や反骨精神みたいなのも垣間見えるんだけれど、表には出てこない。

言うなれば、

吉本ばなな……山林の開発で腹を空かせた野生の雌ライオンが、里に降りてくる。そこで心優しい若者の農夫に恋をする。彼の肉を喰らいたいという自らの本能と、彼を好いている感情との狭間に揺れ、ライオンは自ら罠に飛び込んだ。

村上春樹……ニュージーランドの羊的視点。ここでは羊は人よりも多い。いくらでも数がいるというのは、それだけで軽視される要因になる。近年の乱獲で羊の数が激減していることに、果たして人間は気づいているのだろうか。いや、そんなことはどうでもいいことなのだ。まずは目の前の草をできるだけ胃に詰め込んでおこう。どのみち草なんて羊の数よりもたくさん生えているのだ。

と言ったところだろうか。

だから、村上春樹を読んでいる時は、そのくねくねとした話の道筋に安心する。

時にそれは答えすら持たない。

「カンガルー通信」という話では、デパートの商品課の人間が、クレーマーに向けて「ごく個人的な」録音テープを送りつける。

なんてシュールな設定なのだろう。

もしも彼の書く文章にいくらかの派手さが存在するとすれば、その「シュールさ」にあるのではないかと予測する。

いずれにしても、両名とも素晴らしい作家であることには違いない。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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