自分が死ぬよりも怖いかもしれないこと『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』リリー・フランキー
リリー・フランキー氏の『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』。
本が200万部の大ヒット。
映画化され、これまた大ヒット。
続いて当然のようにドラマ化。
その時、わたしは何をしていたか。
アイドルのコンサートに行き、
高校の先生に反抗し、
マクドナルドを携えてカラオケでばか騒ぎをし、
真面目くさって受験勉強に励んでいた。
そう、わたしは自分自身の人生で精一杯だった。
自分の母親がどんな人生を送ってきたのか。
今どんな気持ちで生きているのか。
そしていつか、自分よりも先に死んでしまうこと。
そんなこと、思いつきもしない子どもだった。
母親孝行のやり方もわからなければ、いつか母がいなくなった時、どんなふうに後悔するのだろうなんてことさえ考えなかった。
そして今、26歳になったわたしは、この本を初めて手に取った。
『東京タワー』には、リリー・フランキー氏の半生が描かれている。
※以下、引用が含まれます
漠然とした憧れを持って上京した著者。
東京には、街を歩いていると何度も踏みつけてしまうくらいに、自由が落ちている。
(中略)
漠然とした自由ほど不自由なものはない。それに気づいたのは、様々な自由に縛られて身動きがとれなくなった後だった。 P200
そんな人間は、東京には掃いて捨てるほどいた。
故郷で自分を見守ってくれる母と、東京でくすぶり続ける自分。
どう頑張ればいいのか、何を目指せばいいのかわからない。
あるのはただ、違和感だけ。
人間の能力には果てしない可能性があったにしても、人間の「感情」はすでに、大昔から限界が見えているのだから。
日進月歩、道具は発明され、延命の術は見つかり、私たちは過去の人類からは想像もできないような「素敵な生活」をしている。しかし、数千年前の思想家や哲学家が残した言葉、大昔の人間が感じた「感情」や「幸福」に関する言葉の価値は、今でも笑えるくらいに、なんにも変わってはいない。どんな道具を持ち、いかなる環境に囲まれても、ヒトの感じることはずっと同じだ。 P88
自分がどんなに自堕落な生活をしていても、母親はずっと見捨てず、見守ってくれる。
自分の身を削って、それを子に分け与えて、何の疑問も感じない。
ごく自然に、子どものためというただそれだけのために、やってのける。
世の中に、様々な想いがあっても、親が子を想うこと以上の想いはない。 P128
それでも。
こんなに母親への想いや、その存在の大きさや、失ったあとの悲しみを見せつけられても、やっぱりわたしはどんなふうに親孝行したらいいのかわからないでいる。
どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。 P321
たぶん、どんなにわかろうとしても、お母さんが死ぬまで本当にはわからないのだろう。
その時まで、たぶん、わたしはずっと「子ども」なのだ。
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