効率とは反対にあるもの。真実を見つける力。『ねじまき鳥クロニクル』村上春樹

ねじまき鳥クロニクル

失われたもの、あるいは損なわれたもの。
現れる者、そして去っていく者。

村上作品の、一貫したテーマである。
それらを受け容れ、探そうとする行為を通して、主人公はある一定の場所にたどり着く。

※本記事には引用を含みます

飼い猫がいなくなり、そして妻がいなくなる。
「僕」の物語はここから始まっていく。
いくつもの手がかりを辿り、ひたすらに受け容れ、そして時に拒み、諦め、しかし目的は見失わなず、犠牲を厭わない。

そんな「僕」が奇妙なクロニクルに巻き込まれていく。

仕事を失い、猫を失い、妻を失った「僕」は、世界からまるっきり隔絶されたような暮らしを送る。
徹底的に孤独で、次の進むべき一歩なんてわからないままに、「僕」はひどく冷静に日々を見つめている。

僕がいなくなったことに気がついた人間はたぶん一人もいないだろう。僕が消えてしまったところで、世界は何の痛痒もなく動きつづけていることだろう。たしかに状況はひどく入り組んでいる。でもはっきりしていることがひとつだけある。それは「僕はもう誰にも求められてはいない」ということだ。 第2部P174

そんな「僕」の周りには、奇妙な人物が次々に唐突に現われ、彼らは自分勝手に「僕」の日常に土足であがり、勝手に出ていく。
自分ではどうしようもないあれこれに、僕が無理に抵抗しようとすることはない。

そのなかで、「僕」が唯一まともな世界とつながっているというしるしのような存在、笠原メイ。
彼女もまた、おそらく普通に生きているだけではほとんど交わることのない「異端」なのだけれど、彼女でさえ現実感を確かめる重要なキイになる。
それほど「僕」は深いところに取り込まれる。

もし人間というのが永遠に死なない存在だとしたら、いつまでたっても消滅しないで、歳を取るということもなくて、この世界でずうっと永遠に元気で生きていけるものだとしたら、人間はそれでもやはり、私たちが今こうやっているみたいに、一生懸命あれこれものを考えたりするのかしら? 第2部P191

ねえ、ねじまき鳥さん、あなたが今言ったようなことは誰にもできないんじゃないかな。『さあこれから新しい世界を作ろう』とか『さあこれから新しい自分を作ろう』とかいうようなことはね。私はそう思うな。自分ではうまくやれた、別の自分になれたと思っていても、そのうわべの下にはもとのあなたがちゃんといるし、何かあればそれが『こんにちは』って顔を出すのよ。 第2部P199

考えて考えて行動しても、そこには自分の意思というものが欠落しているようでならない。
あるいは、「自分の意思」によって決められたレールを発見し、走っていくようなものなのかもしれない。

すべてはずっと前からあらかじめ決められていたことみたいに僕には思えた。現実があとからそれを丁寧になぞっているだけなのだ。 第3部P33

物語をとおして、「井戸」が一番重要なカギを握る。
そこはすべてのはじまりの場所であり、転換点であり、答えを見つける場所。

完全な闇の中で自分と向き合っていくと、あらゆることは起こりうる。

度を超した思考というものは、外部を遮断した闇の中にこそ存在するのかもしれない。

そして、そのような思考の連続は、ときにとてつもなく非効率的にわたしたちには映る。
現実の世界で妻がいなくなったら、我々の行動はいくつかのパターンに分類される。

  1. 警察に届ける
  2. 説得する
  3. 他に好きな男ができたのなら、諦める
  4. 復讐する

など。

「僕」の取る行動は、そのどれでもない。

そもそも、妻の失踪の原因を「僕」は素直に受け容れない。
その奥に、入り組んだ真実があると信じ、からまった無数の糸を一本一本ほぐしていく。

真実というものはときに現実離れしているし、誰にもわからないほどに入り組んでいる。

そこに効率という言葉の入る余地はない。
やり方はひとつであり、そこには何にも代えがたい価値があるのだ。

この「効率」に対しても、本書では政治家への所感というかたちを取って語られる。

考えてみてもほしい、どうすればものごとの効率がよくなるのか、戦後の歳月をとおしてそれ以外の哲学、あるいは哲学に類いするものを我々日本人は生み出してきただろうか? しかし効率性は方向性が明確なときに有効な力である。ひとたび方向性の明確さが消滅すれば、それは瞬時に無力化する。 P331

そう。戦後から今に至るまで、「効率」は何よりも価値があった。
その価値がゆらぐときが、おそらくもうすでに来ている。

けれどわたしたちは、わたしたちの世界は、ベクトルを見失っている。
世界はますます「効率化」し、人々はそこにしか価値を見いだせなくなっている。

これから半世紀くらいで、人類の「ほんとうにたいせつなもの」が見直されるだろう。
そのうえで、ゴールを失った人々の指針(答えではない)となるものごとが、この本にはあるのではないだろうか。



The following two tabs change content below.
ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。