違和感と罪悪感が押し寄せる『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ

never let me go

カズオ・イシグロ氏の第六長編にあたる『わたしを離さないで』。
『忘れられた巨人』が2015年出版で、そのひとつ前の作品ということになるがこれは2005年に出版された作品である。

つまり、本書を書いたあと10年もの間が空くことになるのだ。
他の作品を見ても、だいたい5年だか短くても3年のスパンが空いている。

そう思うと、小説を書くというのはなんと非効率的なことかと思う。(なかにはテンプレートに沿ったように大量生産される小説もあるが)
現代の効率至上主義の真逆を行きながらもその存在が許される、いやその存在なくしては人間の生活が色彩を欠いてしまうものの一つに、きっと文学がある。

英文学研究者である柴田元幸氏は、本書の解説部分においてこう語る。

細部まで抑制が利いていて、入念に構成されていて、かつ我々を仰天させてくれる、きわめて稀有な小説である。P441

彼の言うように、『わたしを離さないで』は終始静かに語られる。
「優秀な介護人キャシー」の目線で、彼女の回想というかたちで物語は進んでいく。

施設内の保護官の元で育った彼女。
一見してそれはごく普通の(と言っては語弊があるかもしれないけれど)、ある種の施設暮らしのように見える。

少年少女がそこにたくさんいて、教育を受けていて、多感な時期を迎えた彼らは時に衝突し、自分というものを定義しようとし、将来を案じている。

そして読み進めるうちに、わたしたちをとんでもない衝撃が襲う。

はじめはそれはほんのわずかな違和感でしかない。
「あれ、子どもの頃の不安や葛藤、好奇心や友情ってこんな感じだったっけな」
「小さい頃は大人がこんなふうに見えていたっけな」
と。

けれど、「施設の子どもたちはどこか特殊なところがあるのだろう」と、読者は(少なくともわたしは)とにかく読み進めていく。

そこでは子どもたちに世界の事実を隠して教えると言ったような偏った教育はしない。
いつか彼らが社会に出た時にうまくやっていけるよう、肉体的にも精神的にも準備が施される。

どうやら彼らは普通の人とは違うのかもしれない。
それは施設という特殊な環境で育ったがゆえの特別性なのだろうか。

その違和感は、保護官である「先生」の一人の発言に象徴される。

あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。それが問題です。形ばかり教わっていても、誰一人、ほんとうに理解しているとは思えません。P126

幼少期に理解し得なかったことを、キャシーはその後の人生で徐々に学んでいく。

そして読んでいるほうはどういうわけか、激しい罪悪感に苛まれることになる。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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