隣の人は自分とはすでに違う世界にいるのか?『月の裏側』恩田陸

月の裏側

恩田陸と言えば、「郷愁」と「恐怖」が共存している作家として知られていると言っていいと思う。

『月の裏側』はそんな彼女の特徴が前に押し出された作品ではないだろうか。

九州の箭納倉(やなくら)という土地で、三件の老女失踪事件が相次ぐ。
それを調べている元大学教授の協一郎、そして彼に呼び出された多聞らは、少しずつその事件を明らかにしていこうとする。

いなくなった老女はみなじきにぴんぴんとして帰ってきており、失踪中の記憶だけがなくなっている。
彼女たちはいったいどこに行っていたのか?
何をしていたのか?

あらゆる可能性を視野に入れて謎を解いていこうとするも、なかなか糸口はつかめない。

そんなとき、火葬しても骨の残らない死体の存在があることを知り、それが失踪となんらかの関係があるのではないかと彼らは気づく。

彼らが見つけた「人間もどき」とは?

わたしには、その恐ろしい響きを持った物体は決してただのモンスターには思えない。

人間たちは、そして自然は、ひとつの方向に向かおうとしている。
そしてその過程で、違った価値観や行動指針を持っている人々を取り込もうとしている。

多様性が認められる社会で、人の意識はひとつになろうとしているのか?
その内容は一見して突飛だけれど、世界が小さくなった今、それは実にリアルに聞こえる。

あるいは、それは人間が考えうる多様性を内包した「ひとつ」なのかもしれない。

世界とは、何なのだろう。

皆が大きな枠組みで同じように考えるようになれば、きっと争いなどなくなるだろう。
争いは価値観の隙間にうまれるのだから。

そして、自分の意識が大きな流れに抗い難く組み込まれていくというのは、どんな心地のすることなのだろう。

人の絶望とは、何に起因するのだろう。

自分の自由意志が損なわれること?
自分が他といかに違っているかと意識すること?

大学教授の協一郎の元同僚は、こんなふうに述懐する。

私が最も絶望したのは、他の人々が、私のように絶望していないことだった。なぜこんなにも不条理で恐怖に満ちた世界に、彼らは絶望しないのだろう? P239

人が個を失いひとつに戻っていく過程には、あるいは「懐かしさ」が含まれているのかもしれない。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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