人は幸福になることを拒否している『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー

近未来

オルダス・ハクスリーという人物の名を、聞いたことがなかった。
訳者あとがきを見ると、本書『すばらしい新世界(1932)』はジョージ・オーウェル『一九八四年』と並ぶディストピアSFの歴史的名作として名高いとある。

また、アメリカの老舗文芸出版社モダン・ライブラリーが選ぶ「英語で書かれた二〇世紀の小説ベスト100」では第五位に選ばれている。
ちなみに、第二位にあのスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』がある。

もともとSFはあまり読まないほうだけれど、大好きな伊坂幸太郎氏が帯にこんなことを書いていたので、ついつい買ってしまった。

恐ろしい悪夢が、あまりに軽妙に描かれているものだから、心地良い浮遊感があって、うっかり楽しい気持ちになりそうでした。人や社会の重要な問題の核を突きながらも、ユーモアは忘れない。これこそがフィクションの役割なのだ、と思わずにはいられません。非常に僕好みで、どうして今までこの本のことを誰も教えてくれなかったのかな……。」

※本記事は引用を含みます。

時代は二五四〇年。
この世界では、人々は「共生」「個性」「安定」をスローガンに、万人の幸福を実現する社会で暮らしている。

かつて人々は、野蛮で予測不可能的な世界に生きていた。
そこには愛や自由があったかもしれないが、同時に不幸があり、憎しみや苦しみ、生きる疑問があり、奪い合いがあった。

そして「九年戦争」が起こり、世界的経済破綻を経て、新世界が生まれた。
新世界においては、かの自動車王ヘンリー・フォードが神と崇められている。

彼の作った自動車のように、今度は人間たちが徹底した管理下のもとに置かれる。

もはや人々は男女のセックスから誕生するのではなく、試験管から産まれる。
生まれたあとの階級や、生き方、考え方にいたるまでが前もって決定される。
効果的な睡眠学習や、肉体的機能制限によって、誰もが自分の境遇に満足するようになる。

この本では、「真理」と「幸福」は対比されている。

徹底的に管理された世界において、真理は存在しない。
しかし、少なくとも人々は幸福である。
戦争と経済的破綻の末、人々は幸福を選んだのだ。

たとえば、新世界で一番上の階級に位置づけられた女性はこう言う。

社会の一部でいたくないなんてよく言えるわね。みんなはみんなのために働くのよ。どのひとりが欠けても生きていけない。P127

「みんながしあわせ」という意味合いにおいて、新世界はヘンリー・フォード時代の労働者よりも満足している。

しかしその中には、幸福をうまく受け容れることのできない人間も存在している。

しあわせをなんの疑問もなく受け容れるように条件づけされていない場合、しあわせは、真実よりもはるかに苛酷な主人になる。P315

彼らは民の幸福を管理統制するために、手を伸ばせば届きそうなところにある真理から目を背け続けなければならない。

しかし、世界にわずかに残された「保護区」では、人はいまだに原始的営みを続けている。
そこからやってきた一人の男によって、新世界は小さな混乱をきたすことになる。

一掃した。ええ、じつにあなたたちらしいやりかたですね。不快なものは、それに耐えることを学ぶのではなく、消し去ってしまう。暴虐な運命の石つぶてや矢弾を心の中で耐え忍ぶのと、怒涛のように押し寄せる苦難と闘ってそれを終わらせるのと、どちらが立派でしょうか。でも、あなたたちはどちらもしない。耐え忍ぶことも闘うこともしない。ただあっさりと、石つぶてや矢弾を一掃する。安直すぎる。P330

価値観がぶつかることもなく、誰も不幸にならない世界。
ささいなストレスは、副作用のない麻薬あるいは二日酔いのない酒としての「ソーマ」によって慰められる。

ディストピア小説と言われながらも、その描かれる世界はまるでユートピアそのものだ。

けれど、今を生きるわれわれと近い世界に住む、新世界における野人の意見は違う。

「つまりきみは」とムスタファ・モンドが言う。「不幸になる権利を要求しているんだね」
「ええ、それでいいですよ」と野人が喧嘩腰で言った。「僕は不幸になる権利を要求する」P333

人間は、幸福になるために活動してきたといっても良いのではないか。
けれど、それは不幸になる権利を奪われることであり、すなわち自由の喪失でもある。

ここでは「幸福」の対義語として「真理」が使われているが、「自由」もまた対義語になりうるのではないか。

不幸の権利を要求した野人に、統制官が放つ一言が印象的だ。

「では、ご自由に」

この小説が書かれてからすでに八五年が経過した。
我々は、少なくとも日本は、物質的にほとんど満たされた状態にある。

人々は次々に問題を発見し、そしてそのすばらしい経験値と能力によって、問題を解決していく。

いずれ、すべての問題が解決するときが来るのだろうか?

われわれ人間は、問題が解決しきってしまうことを本能的に恐れている気がしてならない。
なぜなら、問題発見とその解決こそが、人生だからだ。

人は幸福のために生き、同時に幸福になることを拒否している。
そんなふうに考えることもできるかもしれない。

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