これ以上の海外文学は正直言って今のところ。『フラニーとズーイ』J.D.サリンジャー

フラニーとズーイ

J.D.サリンジャーと言えば『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(ライ麦畑でつかまえて)を思い浮かべる人も多いだろうけれど、わたしとしては何と言っても『フラニーとズーイ』である。
これ以上の海外文学は、正直言って今のところ見つけられていない。

例えば、「これから先の人生、きっかり三冊しか読んではいけません」なんて理不尽なことを誰かに要求されたりすると、まず間違いなくこの本をその中に含めると思う。

生まれた時代も、登場人物の国籍も、もちろん文化もまるっきり違うのに、どこを引用すればいいのかわからないほどの強烈な「そうだよな!!!」がわたしの脳天を打ち続ける。

そうなんだ、こういうことなんだよ、(あるいは残念なことに、という付け加えがあるかもしれない)

ずば抜けた頭脳を持った神童たちは、幼少期に子どもの聡明さを競うテレビ番組で一家揃って有名人になった。
それは彼らに多かれ少なかれ、良かれ悪かれ影響を与えていたし、自分たちの頭の中の世界と現実のギャップを早くに知ることになっただろう。

特に、きょうだいのうち末の二人であるズーイとフラニーは、長兄らの熱心な教育のもと、様々なことを細胞に刻み込まれることになった。
それが後にどんな風に表に出てくるのか?

物語はまず、一番末っ子のフラニーとそのボーイフレンドの話から始まる。
彼はいわゆるエリートで、それがフラニーにはたまらない(悪い意味で)。

それが、というほど強烈な要因ではないにせよ、「それをはじめとしたそれに類すること」が彼女を悩ませる。
そしてフラニーは「お祈り」を始める。

一方、彼女の実家では、母親が気をもんでいる。
子どもたちの母親は、どういうわけかひどく庶民的で一般的、実際的な人物として描かれる。

フラニーを説得する役目として、すぐ上の兄にあたるズーイが選ばれるわけだけれど、彼がまたかなり変わっている。

刮目すべきは最後のふたりの会話シーン。
聡明すぎる彼らが、良くも悪くも彼らとかけ離れた世界とすり合わせをしているかのようなのだ。

たとえばそんな言葉を口走ってしまったとしたら、
「頭でっかち」
「現実がわかっていない」
「考え過ぎ」
などと言われるところだろうけれど、

小説の中でならいくらでも共感できる。
熱烈に首を縦に振ることができる。

さあ、「普通ではない」世界へようこそ。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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