フィクションに宿るリアル『みみずくは黄昏に飛び立つ』川上未映子、村上春樹

黄昏

4月の末にこの本が発売されることを知ったとき、「買うまい」と思った。

『騎士団長殺し』からまだどれほども経っていないときだったし、読書に解説や誕生秘話なんていらないや、と思っていたから。
高校生の時、現代文の参考書のあとについている「解説」もきらいだった。

だから、いくら大好きな村上春樹の話が聞けるとあっても、この本は読むまい、と本屋を通り過ぎる日が続いた。

そしてある日、スポーツジムの帰りにスターバックスでカフェラテを飲んで帰ろうと思ったとき。
そこに行くまでに小さな駅の本屋があって、
騎士団長殺しの隣におあつらえ向きにこの本が置かれていて、
それでわたしはとにかくスターバックスでカフェラテを注文して、
そこに座った。

お察しの通り、その時にはもう『みみずくは黄昏に飛び立つ』は手元にあった。

避けようとすればするほど、対象はわたしたちに近づいてくる。

さて。中身の話。

わたしは、失礼ながら聞き手である川上未映子氏のことをほとんど知らなかった。
『すべて真夜中の恋人たち/川上未映子』で一応読んでいるらしい。

彼女は村上春樹氏の熱心なファンらしく、インタビューのやり取りを読んでいても、村上氏本人よりもいろんなことを覚えているからすごい。
わたしはどちらかというと忘れっぽく、昔読んだ本のことなんてほとんど覚えていない。

インタビューと言えば、インタビューされる側がめいっぱい引き立つように、訊き手は黒子に徹することが多い。
この本の中で、川上氏は不思議な立場に置かれているようだった。

というのは、川上氏はかなり前のめりに質問を矢継ぎ早に浴びせるものだから、全然黒子っぽくはない。
かといって、作家同士の対談とは全然違う。

あくまで、「訊く」「語る」の線引きが明確にある。

騎士団長殺しのこと

『騎士団長殺し』に関しては、解説めいたことや種明かし的なことはほとんど語られない。
というか、「種」がないのかもしれない。
作者が何かを意図して計画する書き方をしていない。

村上氏は常々、「本として出てしまえば、読み方は読者に委ねられる」と言っている。
この本の中でも、

要するに僕がこの『短編小説案内』でやろうとしているのは、「物の見方」のひとつのサンプルを示すことなんです。P324

と本人が言っているように、彼の基本姿勢は「あくまでこういう見方もある」ということにとどまる。

それは彼自身が外部に何かを押し付けたくないからだろうし、同時に逆の立場にも置かれたくないからかもしれない。

悪のこと、小説を書くこと

本の内容は『騎士団長殺し』の話にとどまらない。
村上氏が一貫して描こうとしている「悪」についても話が切り込まれていく。

彼がより「悪」について鮮明なイメージを持ち始めたのは、オウム真理教による地下鉄サリン事件を取材した『アンダーグラウンド』『約束された場所で』のときからであることは、本人も読者も認めるところだろう。

論理的な世界、家の喩えでいうと一階部分の世界がそれなりに力を発揮しているあいだは抑えこまれているけど、一階の論理が力を失ってくると、地下の部分が地上に噴き上げてくる。P95

でも今のところ、僕がいちばん「悪」であると見なすのは、やはりシステムですね。
もっとはっきり言えば、国家とか社会とか制度とか、そういうソリッドなシステムが避けがたく醸成し、抽出していく「悪」。P329

その悪は、システムを持つところに宿りやすいけれど、家族や個人にも宿る。
逆に、悪を内包しない国家、制度、社会、家族、そして個人には、外への攻撃という歪んだ力が働き出す。(『アンダーグラウンド』より

だから、その悪なるものに評価軸を挟まずに、それでも悪を悪として描ける方法が、彼にとっては小説だったのだ。
村上氏はこう言う。

本当のリアリティっていうのは、リアリティを超えたものなんです。事実をリアルに書いただけでは、本当のリアリティにはならない。もう一段差し込みのあるリアリティにしなくちゃいけない。それがフィクションです。P37

その構文をいったん物語という次元に移行させなければ、ものごとの本質は伝えきれないんだな、と僕はあの本を書いていて実感しました。P91

ああ、そうだよな、とわたしは彼の言葉を借りて心を納得させることになる。
だからこの人の物語は心の中心を突くんだ、と。

どこかの誰かに起こっているような「リアルさ」を超えたところに話があるから、かえって個人の心の奥にまで到達する。
見るからに「リアル」な物語を好きになれないのは、やっぱり「他人事」になってしまうから。

ああ、この人と同じ時代を生きられて幸せだな、と思った本でした。

そしてもちろん、川上未映子氏の訊く力も素晴らしいです。
わたしは、特に小説の場合、読めばすべてがわかるし、逆に読んでわからないことはそれ以上ほじくり返す必要もないと思っているから、作家にこれほどいろいろなことを訊くことはできないだろうと思う。

それほど彼女にとって村上作品が自分ごとであり、それゆえに疑問や質問もたくさん出てくるんだろうな。

これからの日本が、世界が、彼らのような作家がちゃんと続いていくような場所であってほしい。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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