『羊をめぐる冒険』村上春樹

自分が好きな作家の初期の頃の作品を読むという行為には、様々な側面があるように思う。
前に自分がそれを読んだころの印象をアップデートしていくこと、
その頃の自分自身を思い出しながら、今と比べてみること、
作家がそれを書いた年齢と自分の今を照らし合わせてみること、
作家自身の変化を改めて感じること、
真新しい本として、新鮮な読書を楽しむこと。
特に村上春樹という作家の場合、読みたびに受ける印象ががらりと変わる。
それは彼が歳を重ねることによって、逆流的に昔の作品の印象が形作られるということもあるし、
そのときの自分自身によって受け取り方を変えられる幅、言い換えれば解釈の余地を残した文章なのかもしれない。
いや、彼の文章には、そもそも「解釈」などそぐわないような気もするのだ。
翻訳、コピーライティングなどの会社を友人と共同経営する「僕」。
仕事はそれなりにうまくいっていて、妻は「僕」をあとにして去ってゆく。
そんな良くも悪くも代わり映えしない日々を過ごしていた「僕」のまわりで、奇妙なことが起こりはじめる。
当然のごとく、「僕」も避けがたくそれらの出来事に巻き込まれていく。
ものごとのはじまりは、どこだったのか?
目を凝らせば凝らすほど、境界線はあいまいになる。
典型的な村上春樹的展開が、この作品から始まったわけだ。
手がかりは友人から送られてきた手紙、そして一枚の写真。
この小説は、謎解きではない。
けれど、すべてはつながっている。
ひとつの手がかりを手にするたびに、次の手がかりが浮かびあがる。
わたしには、こんな体験はできないだろうな。
いや、もし、もっと物事をありのままに受け容れてみたらどうだろう。
分析や解釈を取り去り、得体の知れないままの事実をまるごと飲み込んでみたら。
わたしのもとにも、羊が訪れるかもしれない。
しかし大抵の人間は自分自身をよくあるケースだと考えたりはしない。鋭敏ではない人間ならなおさらだ。(上)P86
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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