隣の人にも人生がある『アイネクライネナハトムジーク』伊坂幸太郎

読書を「勉強」だと思わずに、ただ好きで好きでやめられないから読みつづけるのだという人にとって、
好きな作家の新しい本の1ページ目を開くときの喜びは筆舌に尽くしがたいものがある。
それはあるいは、遠距離恋愛を続けている恋人に一年ぶりに会うときのような気持ちに似ているのかもしれない。
伊坂幸太郎は、わたしが読書にのめり込んだ大学生の頃から、間違いなく好きな作家の一人だ。
初めて手に取った『終末のフール』、大好きな処女作『オーデュボンの祈り』、それから最近のクリティカルヒット『夜の国のクーパー』(最近と言っても五年前でした)。
彼の代名詞でもある「殺し」の要素が薄いほうが、わたしは彼の痛快な皮肉めいた文体が活きてくるような気がしている。
今回の連作短編集も、殺しの要素は出てこない。
伊坂幸太郎は、「仕掛け」が上手い。
それは大掛かりなセットではなくて、いまこちら側で点けておいた電気のスイッチが、5つ先の部屋で役に立つ、といったような仕掛けだ。
「ああ」という納得感とともに、登場人物たちが気づかない小さな発見を、傍観者である自分だけが発見した嬉しさに包まれる。
それぞれ関係のなさそうな小さな日常の物語が、部分的に重なっていく。
仕掛けとしては目新しいものでもないのだけれど、安心感が身を包んでいく。
「ああ、隣に座る人とわたしは、つながっているんだ」と。
素粒子レベルでは、とか、大きな時間の流れでは、とかそんなことを考えたりするけれど、やっぱり寂しくもなる。
そんなとき、同じ人間の形をした隣人とどこかでつながっているんだということを思い出させてくれた。
ただ、読後感としては少し物足りない。
どきどきする感じがあまりなかった。
それは、伊坂幸太郎が「うまくなった」のかもしれないし、わたしが変化したのかもしれない。
あるいは、わたしのそのときの渇望に、たまたまこの本がうまくフィットしなかったのかもしれない。
同じ作家の本を読み続けるというのは、自分と世界との距離感をうまく教えてくれる気がしている。
書いた人
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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