ある種の物事というのは口に出してはいけない『ダンス・ダンス・ダンス』村上春樹

ダンス・ダンス・ダンス

羊をめぐる冒険』で村上春樹がストーリーテラーとしてのスタイルを獲得したのは有名な話だけれど、『ダンス・ダンス・ダンス』はそれに続く話となる。

奇妙な出来事に否応なしに巻き込まれて、とある羊を追い求めて東京から北海道まで行くことになった主人公の、その後のお話。

 

「その後」とはいえ、本作では羊の話はそれほど重要なポイントとして出てはこない。
あくまで「かつて解決されることを求めていたことがら」として、処理された要素として思い出される。

『ダンス・ダンス・ダンス』と『羊をめぐる冒険』を結びつけているのは、二人の人物ということになる。

かつて主人公を導いた女性と、辿り着いた先にいた男。

過去の人物になったはずの彼らが、「僕」を再び不可抗力の波へと巻き込んでいく。
あるいはそれは、「僕」自身が強く求めていたものなのかもしれない。

村上春樹の小説には、このように「不可抗力的」な事件がよく起こる。
そして「僕」あるいは「私」は、たいていほんの少しの抵抗を見せながらも、諦めたようにそれらを処理していく。
そこでは「抵抗」なんてものが何の意味も持たないのだと知っているかのように。

あきらめろ、と僕は思った。あきらめろ、何を考えても無駄だ。それはお前の力を越えたものなんだ。お前が何を考えたところでそこからしか始まらないんだよ。P17(上)

そんな諦観めいた態度は、「僕」自身の考え方や生き方にも見られる。

世の中には誤解というものはない。考え方の違いがあるだけだ。それが僕の考え方だ。P26(上)

一度死んでしまえば、それ以上失うべきものはもう何もない。それが死の優れた点だ。P37(上)

我々は高度資本主義社会に生きているのだ。そこでは無駄遣いが最大の美徳なのだ。政治家はそれを内需の洗練化と呼ぶ。僕はそれを無意味な無駄遣いと呼ぶ。考え方の違いだ。でもたとえ考え方に相違があるにせよ、それがとにかく我々の生きている社会なのだ。それが気にいらなければ、バングラデシュかスーダンに行くしかない。P44(上)

何かに期待を抱かない生き方というのは、寂しいのかもしれない。
現実と真正面から向き合うことから逃げていると言われてしまうのかもしれない。

けれど、ある種の人びとにとっては、社会がこちらに求めてくる「現実」というのはあまりにも異物過ぎるのだろう。
適当なところで手を打っておかないと、こちらがおかしくなってしまう。

それでいて、「僕」はところどころで人間めいた行動を見せてくれる。
特定の人にだけ見せる、ほんとうの部分。

優しさ。
素直さ。
純粋な個としてのあり方。

そんな触れ合いは、見るものを安心させてくれる。
モノクロで進んでいく物語に、色を加えてくれる気がする。

たとえそれが、一時的な借り物であったとしても、だ。

ねえ、いいかい、ある種の物事というのは口に出してはいけないんだ。口に出したらそれはそこで終わってしまうんだ。身につかない。P237(下)

 

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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