分類も分析もできないものの力『赤い長靴』江國香織

赤い長靴

言葉にならない本能的な「うずき」を感じたとき、江國香織の文章というのはとても心地良い。
そこには確かに文章としての物語があるのだけれど、それは「文章にまとまっている」というのとは全然違う読感がある。

文章にまとめたり、うまく一般化したり、それを分析したりするのとは程遠い感覚的な安堵感が、そこにはある。

『赤い長靴』は、ある夫婦を描いた連作短編集だ。
出て来る二人は同じなのだけれど、全体として「起承転結」がきっちりとあるわけではない。

その分、日常の何気ないやり取りがくっきりと意味を持って浮かび上がる。

どこにもカテゴライズされない夫婦のあり方。
ありふれた、とも、
変わった、とも、
異常な、とも、
どんなふうにも形容できない二人のあり方。

わたしには当てはまらない、と読む側に感じさせながら、
ああ、わたしとあの人の関係はまさにこういう関係なのだ、とも思わせる。

江國さんは、こういうことを狙ってしているのだろうか?

たぶん、違う。
こういうことは、決して狙ってできるものではない。

一人で小説の筋を考えて、それを組み立てるだけでは決して出てこないような会話のやり取り。

それは、「はい」と淡く光った球を手渡されて、それをじっと見つめていることでしか紡ぎ出せないような言葉たちなのだと思う。

だからこそ、わたしたちは彼女がぽつぽつと差し出してくれる言葉のもとに集まってしまうのだと思う。

誰かになにかを伝える語り手ではなく、誰かの心を見える化する語り手でもなく、そっと寄り添ってくれる語り手でもない。

江國さんはわたしにとって、「手は届かないけれど、気がついたら同じ空間にいてくれる存在」とも言うべき人なような気がしている。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
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