Suffering is optional『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹

走ることについて語るときに僕の語ること

村上春樹は走る作家である、というのはよく知られた事実である。
彼自身の話すところによると、それにはいくつかの理由がある。

まず第一に、専業作家であること。
作家という仕事は、傍から見ているよりはずっと肉体的に骨の折れる仕事なのだそう。
そのための体力づくり、それから余分な肉をつけないでおくために、彼は毎日のように走っている。

それから、目に見える作業であるということ。
小説を書くということは、自分が果たして前に進んでいるのか後ろに向かっているのか、そもそもどこに行き着けばいいのかといったことが見えにくい。
そのため、健全な精神を維持するために、「走る」という目に見える行為を続けているのだそう。

真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。つまり不健全な魂もまた、健全な肉体を必要としているわけだ。P149

小説の中で不健全なものを扱う上で、健康な体を維持しておこうとしているわけだ。

加えて、悪魔祓い的な要素。
これは『魂のいちばん深いところ 河合隼雄先生の思い出』で触れられているように、小説を書くということによる「闇の気配」をふるい落とすということ。
ちなみに、河合隼雄が臨床家として活動する中で絡みつく「闇」を落とすために使ったのは、ダジャレだったという。

こういった理由で、村上春樹は走り続けている。
彼の走ることへの向き合い方は、走ることを好まない人にとってもすごく発見が多い。
わたしにとっては、人生における「バランス」の重要性のようなものを教えてくれる存在なのだ。

冒頭で、彼はとあるマラソン選手の言葉を引用している。

Pain is inevitable. Suffering is optional. P5

これは、「痛みは避けることができないけれども、苦しみはオプションなのだ」という意味合いで、
走ることで確かに、足や心臓は痛む。けれどもそれを「苦しい」と感じるかどうかは自分で選べることなのだ、といったニュアンスだろう。

なるほどな、と考えさせられる。
この境界線があいまいになってくると、事態はあまりよろしくない方へ向かいかねない。

苦しみが、架空の痛みを生み出すことだってあるだろう。

そして、痛みをともなうにもかかわらず彼が走り続ける理由は、彼の生き方からも発せられている。

腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。P39

人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。しかしたとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の「公正さ」を希求することは可能であると思う。P70

こういった考え方をわたしはほとんど全面的に支持するけれど、なかなか実際にこんなふうに生きられるわけではない。
もともとの性格に加えて、走ることが彼の謙虚さや我慢強さ、爽やかな諦めのような性質を磨いてきたのかもしれない。

何れにせよ、わたしはわたしなりの「走ること」を見つけておかなければな、と思わされてしまう。
自分自身の健全な肉体と、不健全な魂のために。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
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文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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