たったひとつの殺人が、なんと大きく世界を変えてしまうことか。『心臓を貫かれて』マイケル・ギルモア

心臓を貫かれて

自分の人生のおいて、出会えたことが間違いなく自分にとって大きな収穫になったにもかかわらず、手放しに他の誰かには勧めづらい類の本というものがあるとする。

本書は、数少ないそのような本のうちの一冊だと思う。

まず、『心臓を貫かれて』はフィクション小説ではない。
実際に起こったことが書かれている。

もちろん、一人の人間から見た現実だって、ある意味ではフィクションなのかもしれない。
けれど、現実を現実のまま切り出すことで、そこに含まれる真実性が損なわれてしまう、だからこそわたしたちにはフィクションが必要なのだ、と感じるわたしのような人間にとっては、度肝を抜かれる作品だった。

「ああ、ここには『本当のこと』が書いてあるのだ」
ひとことで言うと、そういうことになる。
それは、事実が事実として正しいかどうかといった次元とは別の話だ。

これがノンフィクションであることを事前に知っておくか否かでは、読み進める中での気持ちの持ちようが全然違う。
「こんなことをノンフィクションがしてしまっては、フィクションは太刀打ちできないのでは」とさえ思ってしまう。

現実として、同時に真実として、この物語はわたしたちの心臓を文字通り「貫いて」くる。

 

四人兄弟の次男ゲイリー・ギルモアが、殺人を犯し死刑になった。
そして、本書は彼の弟である四男のマイケル・ギルモアが記したものである。

ここでわたしは、「当事者」というものの定義について考えこむことになる。

「マイケルは、当事者として兄のことを、家族のことを綴っているのだろうか?」

もちろん、マイケルはギルモア家の一員であり、事件を起こす前のゲイリー・ギルモアを知っている数少ない人間である。
けれど同時に、マイケルはある意味でギルモア家から一線を画した目線で、言葉を紡いでいる。

世間からは「殺人者の弟」として否応なしに偏見の目にさらされながら、彼はまた、家族の中でもうまく自分の居場所を見つけることができないでいるようだったのだ。

ギルモア家の初期のころ、―まだマイケルが生まれる前のことだ― 両親は(主に父親が)アメリカ国内を転々とする生活をしていた。
そのジプシーのような生活は、ほかの三人の兄弟にはかなりキツいものに違いなかったが、マイケルはこのように綴っている。

その放浪に加わらなかったことで僕はずっと、自分が仲間外れになったように感じ続けてきた。(上)P198

そのように隔絶された状況の下で、マイケルはなおも兄への愛情や両親への愛情を捨てきることができない。
マイケルは、もっと大きなもの ―たとえば世界といったもの― を憎むようになる。

僕はこの写真を手にして、悲しみと怒りを同時に感じる。この少年を正当に評価し、あざけりと鞭以上の何かを与えるようなまともな人間がどうしてまわりに一人もいなかったのだろう?(上)P265

ああ、僕は家族というものを憎む。僕はショッピング・モールで彼らが清潔な服を着て、一緒に歩いているところを見る。あるいは、友人たちが家族の集まりについて、家族のトラブルについて語るのを耳にする。彼らの家族を訪問することもある。そんなとき、僕は彼らを憎みたくなる。僕が彼らを憎むのは、彼らがおそらく揃って幸せな思いというものを味わっているからであり、僕が人生においてそういった家族を一度たりとも手にしなかったからである。僕が彼らを嫌悪するのは、家庭こそ善なりとする考え方が、子供たちがいい大人になってしまったあとでもまだ、家庭の中で彼らを恥じ入らせたり、従属させたりするために、しっかりと運用されているからである。(下)P65

死刑制度が復活したばかりのユタ州で、ゲイリーが死刑を宣告されたあと、マイケルと母親は家族としてゲイリーの死刑撤回に奔走していた。
しかし一方で、これがゲイリーの名をアメリカ中に、世界中に知らしめることになるのだけれど、ゲイリー本人は死刑を望んでいた。
それが彼なりの、世界への報復だったのかもしれない。
生きることを拒絶する兄の姿を見て、マイケルはこう感じている。

誰かに死刑を宣告することはできる、でも生きることを宣告はできないのだ――そう思った。(下)P221

ゲイリーが世界に与えた影響、
価値観の揺さぶりや命のやり取り、
そして家族。

それらのそもそもの原因がどこにあったのかを特定することは、容易ではない。
ただ、そこに含まれる人間として、マイケルは可能な限り公平に世界を、そこで起こった現実を眺めようとしている。

たったひとつの殺人が、なんと大きく世界を変えてしまうことか。(下)P256

人の命は、簡単に奪われる。
新聞には、毎日のように殺人の記事が載る。
そのひとつひとつに、わたしたちが歩みを止めて目を向けることはない。

けれども、決して多くの人が体験するわけではない、「人の命を奪う」という行為に付随する環境や空気を、ほんのすこしでも知り感じようとすることは、世界を生きていく一人の人間として間違ったことではないのではないだろうか。

そして『心臓を貫かれて』は、間違いなく読むものの血肉を削りながら、わたしたちにその重大さを教えてくれる。

マイケル・ギルモアに敬意をこめて。

 

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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