両親が死ぬよりも残酷なこと『わたしたちが孤児だったころ』カズオ・イシグロ

わたしたちが孤児だったころ

わたしのアイデンティティのようなものは、どこに存在するのだろう。

わたしはいったい、どこに所属しているのだろう。

それは、周囲から独立した「個」であると同時に、「所属」することから相対的に浮かび上がるものなのだろう。
それゆえに、絶対的な「個」は、ある意味では逆説的ではあるけれども、輪郭を持たない。

輪郭を持たないということは、目ではっきりと区別したり、手で触ったりするのが難しいということだ。
まるで薄れゆく記憶のように。

そういう状況は、わたしをひどく落ち着かなくさせる。

カズオ・イシグロの書いた文章を読むたび、わたしは否応なしにそういった類の経験をすることになる。

「孤児」というタイトルからして、少なからず哀れみのような感情が自分の中に湧き出てしまう。

それは一方的な決めつけでしかなく、わたしのような人間の目が、いわゆる「孤児」とカテゴライズされる人々にとって迷惑なものになっているのだろうという認識もありながら、やはりその言葉は暗く狭く重い、日の当たらない湿った印象を与える。

幼い頃に両親をなくすという経験。
それは、死別のみならず、様々なかたちで子らに訪れる。

クリストファー・バンクスは、両親の仕事の関係で上海で幼少期を過ごした。
その地では自分は「異人」ではあったけれど、まわりには同じような環境の子どもたちもいたし、それが彼にとっては「故郷」だったのだ。

そして両親は失踪し、彼は「血」でいうなら故郷にあたるロンドンへひとり帰された。

日本という土地に日本人として生まれ、両親が揃って今も健在であるわたしとは比べ物にならないくらいのアイデンティティの組み換え作業を行わざるを得なかったのだ。

しかし、成長して探偵となったクリストファーに屈折したところは見受けられない。

彼は、失踪した両親の行方を探すために探偵を志した。
探偵として輝かしい成功を収め、社交界で名を成し、少しずつ何かに近づいているクリストファーは、周囲の「おとな」から一定の距離を置いているように思われる。

それは、大人同士の上辺の付き合いでもなく、うまく世間に馴染めない男の行動でもなければ、少年期に閉じ込められているわけでもない。

言うなれば、少年を内包したクリストファーという「個」が、意識するしないにかかわらず、自分を「世界なるもの」あるいは「大きな流れのようなもの」に身を委ねることを注意深く避けているように感じられるのだ。

そんな彼に呼応するのは、やはり同様に親を失った女性である。

両親が亡くなったとこを知っているわけではなく、ただ失踪したという事実が、彼を過去に縛り付けている。
それはある意味で、両親が死ぬことよりも残酷なのかもしれない。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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