若さを包み込んでくれる人生の先輩を見つけること『なるほどの対話』河合隼雄、吉本ばなな

naruhodo

すっかりご無沙汰してしまいました。
陳腐な言い訳になってしまいますが、ありがたいことに仕事のほうがとても忙しく、本を読んだりブログを書く時間をなかなか取ることができませんでした。

加えて、肉体的・精神的ダメージを大きく受けてしまい、本音を言うとしばらくお仕事をお休みしたいくらい。
今日は久しぶりにゆっくりと家にこもることができたので、前に読んだ本の読書感想文を書きたいと思います。

自分が弱っているときって、どうしても読みやすさを優先して現代邦人作家たちの短い本に手を出してしまいます。
さらさら読めるのだけれど、読書感想文を書くほど、自分と本のあいだに対話が生まれない。

『なるほど対話』は年明けすぐくらいに読み、十五年も前の対話本がこうも色あせていないことに驚きました。

河合隼雄先生は、わたしが心から敬愛する方。
実際お目にかかったこともないし、残念ながらもう亡くなってしまったけれど、この人の言葉は本越しにも癒しと希望と共感を与えてくれる。

その河合先生と、作家の吉本ばななさんの対談をまとめたのが本書。
心理療法家と作家という職業の違いはあれど、彼らの共有するところは大きいらしい。
心の分野というのは、それを学問にしたとしてもどうしても「感性」の要素が交じる。

だからだろうか。
この人たちの会話は、とても論理的でありながら、そして皮肉を交えていても、やさしい。

たとえばこんなお話。
アメリカの影響を強く受けた今の世界のあり方とか、コンピュータの能率について話している場面。

だから、そんなに能率よくするのが好きやったら、能率よく死ねと。うろうろ生きていないで。うろちょろするのが好きだから生きてるわけでしょ。だから、アメリカン・カルチャーが優位になったら、人類は滅亡するんじゃないかと思いますよ。(河合)P81

痛快!
確かに、そのとおりだと思う。

「ああ、今日も一日無駄に過ごしてしまったなあ」とか、
「こんなことをしていて、いったい何になるんだろう」と思うとき。
それは、たぶんどこかで「人生の能率」みたいなことを考えているからだと思う。

できるビジネスマンが、朝にジョギングしたり休日に資格の勉強をしているときに感じる快感は、「自分の人生を能率よく過ごしている」という実感に基づくものなのではないだろうか。

誤解をおそれずに言えば、
「人生はただの暇つぶしだ」だとか、
「人生はありふれたフィクションに過ぎない」といった表現は、あながち間違いではないように思う。

それなのに、わたしたちは家でぐうたらしているときなんかになぜか罪悪感を感じてしまう。

いま現代人は、みんな「社会」病にかかっているんです。なにも、社会の役になんて立たんでもええわけですよ。もっと傑作なのは、ただ外に出て働いているだけなのに社会に貢献していると思っている人がいる。貢献なんてしてないですよね、金儲けに行ってるだけでしょ。「そんなん、別に」とぼくは思ってます。(河合)P111

こういった思い込みは、うつ病患者なんかの回復を妨げている気がする。
日本はとくに、いったんレールから外れてしまうと、「社会復帰」のハードルがぐんと上がってしまう。

そうなると、罹患歴の長いうつ病患者にとって、治らないことの辛さよりも、治ったあとの辛さが勝ってしまうように感じてしまうことがある。
弱者でいられる環境に、ずるずると甘え続けてしまう。

「治る」っていうときは、反対の力が大きくはたらくのが本当だから、すっごい気持ちよくて、ただ心地よくて治っちゃうということは絶対にない。(中略)それは単に「リラックス」だと思う。(吉本)P176

「役に立つ」という、ある種の強迫観念にも似た感覚は、他人との調和を重んじる日本において特に顕著だ。
それゆえに、出る杭は打たれるし、異端児は疎外される。

とにかく日本には、おせっかいが多い。それは、「創造する」作業にとって、ものすごくマイナスなんですよ。(河合)P119

「日本人はおせっかい」とはよく言ったもので、この国には集中できる時間や空間がほんとうにない。
おせっかいはありがたくもあり、うざったい監視の目でもある。

べたべたした人間関係は、ほんとうの意味での自立や想像力のさまたげになる。
それが「創造力」に及ぼす悪影響は、想像に難くない。

だからだろうか。
日本人の作家の作品には、べたべたとした馴れ馴れしさと、おせっかいとも呼べるほどのくどくどとした説明が含まれる傾向にあるのは。

それでも、治安の良い、思いやりのあるこの国にうまれたことを、わたし個人としては幸運と感じている。

本の最後に、吉本ばななは河合隼雄先生に対してこんなふうに綴っている。

情緒的な癒しでも、合理的な癒しでもなく、ただその存在が生きているだけでこの世を信じようと思った。P305

村上春樹も同じようなことを言っていた。
河合先生のあたたかさは、その写真や文章からも十分に感じられる。

中途半端な個人主義が幅を利かせる今の時代、こんなふうに若い世代を包み込んでくれる人生の先輩を見つけることは簡単ではない。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。