『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド/村上春樹』

本好きのあなたは、こう問われたらなんと答えるだろう?

「あなたの一番好きな本は何ですか?」

これまで素晴らしい本にたくさん出逢ったあなたほど、その中から選りすぐりの一冊を選ぶことは困難を極めるに違いない。

そもそも本というものは、読んだ時の自分の立場、心理的状況なんかによって印象が大きく変わる。

そうして、
・元気をもらいたい時
・温かく平和な気持ちになりたい時
・ワクワクした刺激がほしい時
・誰かと価値観を共有したい時

などのときどきによって、マッチする本、つまり好きな本だって変わってくるのだ。

では、こう問われたらどうだろう?

「あなたの一番好きな作家は誰ですか?」

あるいはこれも一人に絞るのは困難を極めるかもしれない。

伊坂幸太郎の独特の伏線の張り方が好きだ

よしもとばななの「すぅーっと胸に染みこんでくる感じ」が好きだ

辻村深月の、誰にでも起こりうる悩みへの切り口が好きだ

恩田陸だって、森見登美彦だって、重松清だって大好きなのだ。

ただ、私の場合は圧倒的一位に村上春樹がいる。

それは、娯楽とか何とかを超えたところにあり、食欲睡眠欲性欲にも勝る生理的快感を与えてくれる気すらする。

彼の名前を見ただけで、彼の本が枕のそばにあるだけで、日頃の鬱憤や何かはどこかへ行ってしまう。

彼が生きているだけで、いや、彼の本が存在するというだけで、私はこの世界にほんとうの意味で絶望などできないのではないかとまで思えるのだ。
ちょっと片想いが過ぎるかもしれない。笑

とにかく、私の一番好きな作家は村上春樹だ。

それでは次の質問に移ろう。

「その作家の作品で、あなたが一番好きな作品は何ですか?」

つい数カ月前まで、彼の小説の中では『海辺のカフカ』がダントツだった。
美しい図書館の描写、大人への階段を登る15歳の少年の心理、ナカタさんと呼ばれる不思議な、それでいて何の変哲もない老人の視点、それらの世界が私を虜にしていた。

しかし、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を再読して以降、私はこの作品の持つ深さを思い知らされることになる。

初めてこれを読んだのは、まだ大学の2回生だった。
今が24歳だからそれほど大した違いはないのだろうけれど、これが劇的に違った。

世界の終りとは何か。
愛もなく、絶望もない世界。
それは、苦しみなのか、楽であることなのか。
それは、平和なのか、悲しみなのか。
繰り返されるままどこにも行き着かないそれは、一体何なのか。

一方、近未来的で躍動感のあるハードボイルドワンダーランド。
ここで繰り広げられる、欲望のぶつかり合い。
真の正義はどこにあるのか。
そもそもここでは、正義という言葉すら意味を持たないように思える。

これら2つの世界が入り混じるこの小説には、今を生きる人々の何かがぎゅうと凝縮されているように見えた。
大切な何かと、失いかけている何か。
それは目に見えて言葉にできるようだけれども、うまくいかない。
気づいてくれ。
そのメッセージを作者が込めたかどうかまではわからない。
けれど、読み人によっては、そして読む時期によっては、びりびりと響いてくる作品だ。

世界の終り。
決してネガティヴなそれではなく、精神的な世界。

行動するよりも頭でとことんまで考える人、暇があればあれこれ思考を巡らせる人に読んでもらいたい作品。

だからといって、

「あなたの一番好きな本は何ですか?」
と聞かれたら、またうーんと首を捻ってしまうわけだけれども。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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