ちかしい女の友と、女友達のあいだ『ホリー・ガーデン』江國香織

女友達というのは、何なのだろう。
わたしは、ほとんど「友達」という人たちに会うことがない。
大学生のとき、わたしのまわりには人がたくさんいた。
彼らを愛していた。
つまり、「友達」たちを。
その存在はわたしを安心させた。
ひとりになりたいときにうまく理由を見つけられないときは、いくつかのグループに属した。
そうすれば、どこのグループにも参加していないときでも、あまり目立たないから。
そんなふうにして、社会人になってからのわたしは友達を会うことがほとんどなくなった。
仕事をはじめたり家庭を持ったりすると、人は忙しくなるらしい。
わたしも仕事をしているし、休日は家事や読書、運動、思いついたことを書き留める作業なんかをしていると、あっという間に終わってしまう。
友達は遠くなる。
会うと本音であれこれ話すし、楽しいのだけれど。
『ホリー・ガーデン』に登場する果歩も、同じような感覚を持っているらしい。
女友達、というのが彼女たちの名前であり、実態の総てだった。P19
果歩とわたしの違うところは、「近すぎる女友達」を持っているというところだ。
性格も好みの男もまるで違う二人は、腐れ縁的に離れられない。
静枝は、果歩が昔の男を引きずっている様子に気をもんでいる。
果歩は、子どもだ。
静枝はそう考え、果歩に対してクールにふるまう。
そして果歩は、静枝が妻のある男との関係を続けることに、不満を抱いている。
どちらも優位に立つことはない。
静枝は、果歩の面倒も見るし、男の来訪に胸をおどらせる。
券売機の行列の最後尾につき、それから小さく深呼吸をして、いちばん美しいのは肉体関係を含んだ友情なのだ、と思う。不幸がることなんかない。私たちはそれをすでに『獲得』しているじゃないの。P107
そして果歩の方は、静枝にも、他の人間にも、あまりきっぱりとした態度を取ることなく曖昧に生きていく。
曖昧なのは、果歩だろうか、静枝だろうか。
友達というのは、不思議な存在である。
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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