さあ、出かけるか。『ラオスにいったい何があるというんですか?』村上春樹

ラオス

文庫が出たようである。

個人的には、単行本の表紙のほうが好きだった。

大学生のときに村上春樹に出会い、それからおおよそ8年間、決して長いとは言えないまでも、わたしを世界につなぎとめてくれた人。
彼の著作をひととおり読んでしまうと、新しい本は単行本で買わざるを得なくなった。
明日死んでしまうかもしれないから、彼の紡ぐ文章をひと言でも逃したくはないのだ。

きっと、基本的な「ベース」のようなものさえ共有してしまえば、あとの言葉は確認作業のようなものに過ぎないのかもしれない。
それでも、なお。

それにしても、出版界というのは不思議な世界である。
単行本があり、文庫があり、新人賞があり、印税があり。
変わりつつあるとはいえ、変わらない世界だとも思う。

たぶん、公務員的な世界と医者的な世界に次いで、出版的な世界は昔ながらのやり方を変えることに消極的であるような気さえする。

村上春樹は、その中にしっかりと含まれていながらも、どういうわけか組織的な色合いを微塵も感じさせない稀有な存在であるように思う。

彼の書く、真実に近い非現実的なものがたり。

それからガラリと雰囲気の変わる、しずかな紀行文。

どちらも捨てがたい。

『ラオスにいったい何があるというんですか?』は、氏が久しぶりに書いた紀行文集である。

ギリシャ、フィンランド、ボストン、イタリア。
アイスランド、ラオス、熊本。

「旅行」ではなく、「旅」をするのだ。

今の時代は、なんでもスマートフォンで事前に調べられるし、もっと悪くすれば(と個人的には思う)、旅先でWi-Fiが使えたりもする。
旅行では予測不可能なことなんてほとんど起こらないし、トラブルも発見もない。

こんなつまらない「旅行」を、今の人たちは「安心」だと喜ぶ。
かく言うわたしも、国内外を問わず、宿と足の確保はオンラインで済ませてしまうたちである。

旅先で感じることのひとつに、「普段の自分は、なんとものごとをよく見ないままに過ごしているか」ということがある。

それは異国の異文化に触れることに限らない。
道端に生える植物のにおい、フェリーの上で感じる風、ちょっと変わった店。

自分をめいっぱい開放しておくだけで、特別ではなくても実に様々な「かけら」が身体を満たしていく。

人間として生きていることの複雑さや、世界の単純さを知る。

うまく餌をとれなかった子パフィンはそのまま死んでいく。すごく単純な世界である。人間だとこうはいかないですね。親に捨てられたりすると、たとえうまく生き延びても、それがトラウマになって、あとの人生に差し支えたりするだろう。P38

ひとところに留まることの安定感と、不完全さを知る。

文章を読んでいるだけで、「よし、リュックサックをひとつ背負って、何日か出かけてみようか」という気持ちになってくる。

そんな気持ちになり、世間がGWを迎える前に、近場に3日間ほど出かけることにした。

最低限の着替えと、ノートを一冊携えて。
スマートフォンは、電源を切っておいてやろう。

No one can reach me.

自由である。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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