嘘をつくこと『風の歌を聴け』村上春樹

風の歌を聴け

自分のことを正直な人間だという人を、わたしは信用しない。

嘘をつきながらでしか生き抜けない場所が、この社会にはある。
嘘をつくことと、正直さには正の相関はあるのだろうか?

たとえば、2人の男がいるとする。
彼らはある女と同じ職場で働いている。

女 「ねえ、怒らないから正直に言って。職場の皆は私のことをデブでブスで付き合いが悪いって言っているわけ?」

男1 「そうだね、皆そう言っている。それは変えようのない事実だ」

女 「あなたもそう思うわけ?」

男1 「正直になるとすれば、そうなる」

彼は、嘘をつかない正直な人間なのだ。

女 「ねえ、怒らないから正直に言って。職場の皆は私のことをデブでブスで付き合いが悪いって言っているわけ?」

男2 「幸か不幸か、僕は彼らとそういう類の話をしないからわからないよ」

女 「あなたもそう思うわけ?」

男2 「顔の差なんて、宇宙の規模で見れば誤差範囲だよ」

男2は嘘をついている。甘く見積もっても、むき出しの真実を述べているわけではない。

話を簡単にするとこういうことになる。
男2の生き方をする人間のほうを、わたしは信用する。

村上春樹氏の処女作には、このような日常のちょっとしたテーゼに関する例え話が散りばめられている。

嘘をつくのはひどく嫌なことだ。嘘と沈黙は現代の人間社会にはびこる二つの巨大な罪だと言ってもよい。実際僕たちはよく嘘をつき、しょっちゅう黙りこんでしまう。
しかし、もし僕たちが年中しゃべり続け、それも真実しかしゃべらないとしたら、真実の価値など失くなってしまうのかもしれない。P131

「僕」は21歳で、東京の大学に通っている。
山と海に挟まれた生まれ故郷で、友人の「鼠」とビールをプール一杯ぶんくらい飲んで、語り合っている。

鼠は金持ちの息子で、それをひどく嫌がっていて、その街に置いてけぼりにされたように感じている。

東京に出ていった「僕」は、鼠のそんな話を聞く一方で、泥酔して介抱してやった女の子とも親しくなる。
二人は「僕」にそれぞれの歪みをぶつけるともなく預け、僕は受け止めるでもなく受け流すでもなく、ただ手にすくう。

若き日のことを、わたしたちは思い出す。
思い出として残るのは、眩しい輝きとわずかな苦さだ。

その苦さは、今の自分との対比から生まれるのだろうか。

どこへ行っても、どこへ戻っても、わたしたちに確約された幸せはない。
幸せを目指すことはできても、幸せを手に入れることはたやすくはない。

それでは人生は生きるだけの価値がないのか?

わたしたちはただ、今を耐え、生き、その中に少しでも幸せの切れ端を探して紡いでいくしかないのだ。

ブログ運営者

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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