これが人間が幸福になれない理由である『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ

プラハの春

ミラン・クンデラという作家にはじめて出会った。

彼は、1929年に今は解体されたチェコスロヴァキアで生まれた作家で、1960年代の後半に起こった「プラハの春」をきっかけに全著作が発禁になり、
フランスへ移住して執筆活動を続け、現在も存命である。

彼のような境遇の作家を知るにつけ、作家や画家、音楽家などの芸術家は、自分の内面の表現という以上に歴史の目撃者、そして記録者としての役割を担っていたことが改めて認識される。

本書『存在の耐えられない軽さ』は、あくまで個人的な恋愛小説の体をなしている。

優秀な外科医トマーシュと彼を追いかけて田舎から出てきた娘テレザ、そしてトマーシュの愛人で画家であるサビナ。

夫妻は当時のチェコの激動をくぐり抜けながら、互いの首を締めながら離れられないでいるのだ。

テレザは夫の浮気に苦しみながら、早く夫が年をとって自分と同じくらい弱くなることを願っているし、
トマーシュは妻を愛しながら、愛と性を結びつけたことは創造主のもっとも風変わりな思いつきだったと感想を持った。

物語には哲学的な考察が随所に散りばめられており、全体を包む大きなテーマは以下のようなものである。

人間というものは、ただ一度の人生を送るもので、それ以前のいくつもの人生と比べることもできなければ、それ以後の人生を訂正するわけにもいかないから、何を望んだらいいのかけっして知りえないのである。P13

そう、何事も一度きり、一期一会であり、やり直しは効かず、それゆえに比較検討は叶わないのである。
「一度は数のうちに入らない」とさえつぶやかれるシーンもあり、人生というもの、個人というものの存在の軽さが語られる。

一人の男と別れたかったから捨てた。それでつけまわされた? 復讐された? いや、彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。P156

男女の関係、その関係性における自分自身の存在の軽さは、後に大事件として語りつがれるチェコの革命運動の重さを希釈する。

歴史も個人の人生と同じように軽い、明日はもう存在しない舞い上がる埃のような、羽のように軽い、耐え難く軽いものなのである。P283

夫妻は幸せであったか?

それは、何と比べればよいのか?

否、比べることはできない。

わたしたちは、繰り返しのない歴史の流れの一部にただほんのひととき合流しているだけなのだから。

今より他の人生がないのならば、幸福について語ることはできないのである。

人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。P374

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