リアリティの薄らぎ『ガラスの街』ポール・オースター

ニューヨーク

ポール・オースターといえば、なぜかミステリー・推理小説家だというイメージがないだろうか。
そしてわたしは個人的に、「このジャンル」が苦手である。

有名だとはわかっちゃいたけど、『幻影の書』のあとでなかなか手が出せずにいた。

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しかし今回、偶然古本屋で見かけた『ガラスの街』を手に取るに至り、ほとんど一息に読んでしまった。

小説というのには大抵の場合、準備運動が許される。
つまり、読み始めていよいよ物語が展開し始めるぞというところまでに、読者がウォーミングアップをする時間が与えられるというわけだ。

けれど、『ガラスの街』はそうではなかった。

まず最初の1文が強烈に興味深い。
そして1段落目が胸を踊らせる。
短い1章が終わるころには、第一の展開はもうほとんど完全にその姿を見せるのだ。

ふう、と2章目の前にしおりをはさみ、わたしたちは大きく息継ぎをしなくてはならない。

なぜならこの本は、ただの探偵小説ではないから。
わたしたちに、生き方や存在を問うてくる、いや、答えを待ってくれさえしない圧倒的な哲学が存在しているから。

散歩がうまく行ったときは、自分がどこにもいないと感じることができた。そして結局のところ、彼が物事から望んだのはそれだけだったーーどこにもいないこと。P7

もう死にたいとも思わなかった。と同時に、生きているのが嬉しいわけでもなかったが、少なくとも生きていることを憤ったりはしなかった。自分が生きていること、その事実の執拗さに、少しずつ魅惑されるようになってきていた。あたかも自分が自分の死を生き延びたような、死後の生を生きているような、そんな感じがした。P9

事件は進展を見せている、たぶん。
要素は結びつき、ある形を取りはじめる。

しかしそれ以上に、わたしたちが実際に目にしていると思っていることのリアリティが、そこでは薄らいでいく。

さて、私の問いはこうです。物がもはや機能を果たさなくなったらどうなるのか? それは依然同じ物なのか、それとも別の何かなのか?P140

夜も昼も相対的な言葉でしかない。絶対的な状況を指し示しているわけではない。いついかなる瞬間も、つねに夜でもあり昼でもある。我々にそれがわからないのは、我々が同時に二つの場所にいられないからに過ぎない。P229

真実を突き止める必要のある事件解決型小説で、真理はいくつも存在するのだ。

そのどれもが否定されず、可能性は可能性として残り続ける。
それでいて、読者は謎を謎のまま放置されたようには感じないのだ。

ポール・オースター、もっと読んでみなくてはならない。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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