過去は未来よりも曖昧なのかもしれない『一九八四年』ジョージ・オーウェル

1984年

人生の然るべきときが来るまで、読まずに置いておきたい「名作」がいくつかある。

あるいはそれらのうちいくつかは手に取ることのないまま、わたしの人生は終えられてしまうのかもしれない。
けれどあくまでわたしの場合、本というものは、特にそれが時代の検証を受けてなお残っているものであればあるほど、より正しい状態でページを開きたいと思ってしまうものだ。

そんな作品のひとつに、『一九八四年』があった。

第二次世界大戦が終わって間もない頃に刊行された本書は、「20世紀最高傑作」と呼ばれることも多い。

オーウェルが予言(というと安っぽいが)した1984年の近未来は、間違いなく我々人類が向かう可能性のある未来を描き出している。

例えば、記憶と歴史の曖昧さ、認識のコントロールの容易さについて。

自分の記憶以外に何の記録も残っていないとすれば、またとないほど明白な事実でさえどうやって立証するというのだ? P57

君は現実とは客体として外部にある何か、自律的に存在するものだと信じている。さらにまた、現実の本質は誰の目にも明らかだと信じてもいる。(中略)しかし、いいかねウィンストン、現実は外部に存在しているのではない。現実は人間の精神のなかにだけ存在していて、それ以外の場所にはないのだよ。P385

人類は自由と幸福という二つの選択肢を持っているが、その大多数にとっては幸福の方が望ましい。P406

そして、資本主義と戦争の分かち難い関係について。

結局のところ、階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえないのだ。P293

問題は、世界の実質的財産を増やさずに、如何にして産業の車輪を回し続けるかであった。P294

真の恒久平和とは、永遠の戦争状態と同じということになるだろう。P307

わざわざ新しい言語を開発してまで、人々の思考さえも制限し、操ろうとする世界は、誰もがスマートフォンを覗き込んでいる今の世界とリンクする。
わたしたちはそれらを、積極的に、自らの「自由意志」と思い込んで生活しているのだ。

オーウェルの圧倒的洞察力の背景には、人類への警告が疑いようもなく含まれている。
と同時に、著者自身の背景を知ると、この救いのない世界は人類への限りない愛と希望に満ちたものへと姿を変える。

執筆から70年が経った今でも、決して薄れることはない世界の見つめ方。

幸福よりも自由を選びたい人間。(それらが両立しえないとして)
あるいは、真実に近いところにある物事から目をそらしていることのできない人間。

そんな種類の人間たちにとっては、まさに自分の感じている緩やかな諦めや恐怖、他人の呑気さに感じる疑問や憤りを言葉にしてくれる一冊となるはずである。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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