Just two men’s opinion(s)『翻訳夜話』村上春樹 柴田元幸

翻訳夜話

翻訳に「色」は必要なのか?
あるいはそれは、好むと好まざるとにかかわらずついてしまうものなのか?

大切なのは、
忠実であることか、あるいは偏った愛情を持つことか?
それらは相反するのか?

翻訳という、自分をある程度消しながら、言葉も文化も歴史も違う国の物語をほとんど再構築するような形で置き換える仕事。

言語を専門に研究する東大教授の柴田元幸氏。
若くからとにかくたくさんのテキストに触れて、自身でも小説を書く村上春樹氏。

それぞれが翻訳家として、どのように類似し、どのように違っているか。

翻訳を学ぶ学生たちや、プロの翻訳家たちとのフォーラムで、翻訳とは何たるかが語られる。

それは方法論でもなく、翻訳道の伝授でもない。
あとがきの柴田氏の言葉を借りるなら、”Just two men’s opinion(s)”という位置づけで、あくまでもフランクに言葉が交わされる。

正解がないからこそ、個々の価値観が自由に、強く前に出ている。

翻訳は想像以上に奥の深い世界であり、それは単に原文を我々の言葉に自動的に置き換えただけでは完成しない世界なのだ。

(村上)でもいずれにせよ、誰にでも自由に好きなやり方でテキストを読む権利はあると、僕は思います。ひとつの読み方が独善的になったり、ほかの自由な読み方を阻害するような事態が生じないかぎり、それは許されると思います。P43

(村上)魂というのは効率とは関係のないところに成立しているものなんです。P111

翻訳はどこまでもつらく、効率という側面から見ると割に合わない仕事だ。
わたしも一度、フィンランドの友人がフィンランド語で出版したものを、彼女が英語にし、それを日本語に訳する作業をお手伝いしたことがある。

そこにどんな言葉が使われているかはもちろん大事だけれど、彼女が本当に何を言いたかったのかを正確に汲み取る能力と努力なしでは、翻訳はとてもできない。
ただなんとなく意味を伝えるだけなら、それこそ昨今の翻訳機の方が早くて優秀だから。

そういうわけで、翻訳家という稀有で情熱に溢れた方たちのおかげで、優れた海外の作家の作品を、その文学的価値を落とすことのないまま(ときには高めまでする)、わたしたちは体験することができる。

本書の後半で村上氏と柴田氏が、それぞれの得意分野ごとに同じテキストを訳している箇所がある。
短い文章なのだけれど、翻訳者によってここまでトーンに差が出るものかと驚くとともに、誰にでもできる仕事ではないのだと改めて敬意と感謝の念を覚えた。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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