少年たちは、大人になることを拒む。『さよなら僕の夏』レイ・ブラッドベリ

さよなら僕の夏

胸が締め付けられるほど、美しい小説に出会える瞬間がある。

どうやってそんな小説に出会うか?

インターネットで検索してみるのも良い。
友人に聞いたり、読書コミュニティに参加したり、アプリケーションサービスを使って人工知能に勧めてもらうのもいい。

けれどやっぱり一番うれしいのは、図書館や本屋で何気なく手に取った小説が素晴らしかったときだ。
なぜ手に取ったのだろう? と後であらためて考えてみても、その理由は判然としない。

それは多分、本が自分を選んでくれたのだ。
そんなふうに考えると、わたしは嬉しくなる。

少年たちは、大人になることを拒む。
それは彼らにとって脅威であり、なんとしても阻止しなくてはいけないものなのだ。

大人は少年に戻ることを願う。
しかし彼らの中にも、しっかりと少年のままである人種も存在するのだ。
彼らは、少年に戻りたいなどとは思わない。

兄弟とその友人たち。
少年らを忌み嫌う老人。
そして少年と老人は交差する。

手に入れることを学ぶまえに手放すことを学ぶべきなのだ。人生は触れられるべきものであって、絞め殺されるべきものではない。リラックスして、ときには起きるにまかせ、またときにはともに前に進まなければいけない、それはボートのようなものだ。流れとともに舵をとるためにエンジンをかけつづける。そして滝の音がますます近くに聞こえてきたときは、ボートをきれいにかたづけ、最上のネクタイと帽子を着用して、まさに転覆する瞬間にいたるまで葉巻をくゆらす。それが勝利というものだ。滝と喧嘩をしてはいけないのだ。P165

いいかな、人生はわしらにすべてを与えてくれる。そしてつぎにそのすべてを取り去る。若さ、愛、幸福、友人。闇が最後にそのすべてをもっていく。わしらはそれを――生命を――他人に遺贈できるものだと知るだけの分別がなかった。あんたの容貌、あんたの若さ。それは次にまわすのだよ。やってしまうのさ。ほんのしばらくのあいだわしらに貸しあたえられているものなのだからな。P168

「アイスクリームコーンは長くもたない」
「なにをばかなことを言っているんだ」
「アイスクリームコーンはいつだって終わりに近づいているんだ。頭にかじりついたと思ったらもう尻尾を食べているようなものさ。休暇のはじめに湖に飛びこんだら、もう反対側からはい出していて、学校に戻るところなんだ。まったく、気分が悪いのは当然だよ」P183

この台詞のあとに、兄が弟にかける言葉が、たまらなく希望に満ちて切ない。
兄はもう、大人になってしまったのだ。
それは悲しむべきことではないのだろう。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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